あとは野となれ山となれ

たいせつなことは目には見えないんだよ・・・

この世は知らないことばかり

今回の選挙で議席を減らした責任をとって、立憲民主党の枝野代表が辞任を表明した。選挙戦中、同党に対して、あるいは枝野代表に対して、いろいろ批判が飛んでいるのは目にした。それに対して、枝野さん個人はいっさい説明や弁解をしなかったように思う。それは潔い姿でもあるが、私はもどかしい思いもした。

 

2017年、野党共闘がいいところまで進んでいたにもかかわらず、小池百合子氏の緑の党でかき回されてバラバラになりかけ、野党を応援する市民が途方に暮れていた時、枝野氏が立憲民主党を結党してくれたのはまさに一筋の希望の光だった。

 

この度の衆院選で枝野氏の立憲民主党は大幅に議席を減らしたと言われるが、Twitterのこのデータを見れば、それほど大敗したわけでもないことが一目瞭然だ。

 

 

それでも、今回の選挙の内容如何を見ず、改選前の数字のみと比べれば負けは負けであり、代表を続けることに批判的な声も少なくない。私も「表紙を替えた」方が良いのではないかと思っていたので、昨日のSPYBPYさんのブログを読み、枝野さんにはナンバーツーでしっかり補佐してもらって、代表には新しい人というのではいけないのかと、素朴な質問をコメント欄でさせていただいた。

 

spyboy.hatenablog.com

 

それに対して、実に丁寧で分かり易いご回答を下さったので、コメント欄にとどめるのではもったいないと思い、ご紹介させていただく。

 

以下SPYBOYさんのお返事

*****

枝野を変えても仕方がないと考える理由は2つあります。一つは野党第一党の党首だから、総理大臣、せめて閣僚は務められる能力が必要だと思うからです。立憲民主で(というか野党で)閣僚を「まともに」務められる政治家が何人いるでしょうか。行政経験と専門知識があるのは岡田克也か元外務大臣の玄葉、あと嫌いだけど野田、それくらいじゃないでしょうか。

自民党の場合 党のスタッフがめちゃくちゃしっかりしています。アホがやってもある程度はカバーできる。それに例えば安倍は本人はアホでも優秀な御用官僚を使うことはできたし、麻生は人間的にはクズだけど(笑)経済のこと(だけ)はかなり判ってます。リーマンショックの時、彼の処置は悪くなかったし、法人税の最低税率を定めた国際ルールを数年かかってリードして作ったのはかなり立派です。今の立憲は判りませんが、かっての民主党は人(官僚)を使うことができなかったのが失敗した原因の一つでした。

もう一つは枝野は今のところ、大きな判断ミスはしていない、という点です。この2,3年 組織構築を優先させたのは間違いではなかったし、連合をなだめすかしながら共産と手を組んだのも間違いではなかった。どちらも大した手腕だし、だからこそ小選挙区議席を増やすことができた。発信力に疑問を持つ人もいますけど、それは枝野が言ってることの理屈が理解できないアホだからじゃないですか(笑)。

ただ、選挙には負けたから責任を取るというのは一理あると思います。枝野も降ろしてもいいけど替わりは中々いないのではないでしょうか。
例えば小川淳也を代わりに、とか言ってるバカがいますけど、そんな簡単なものではないでしょう(彼は政策はあるし、人柄は素晴らしいけど、寝技とか、交渉力とかは未知数です)。
政治家を使い捨てにするより、見込みがありそうな人材を育てていくことの方がボクは大事だと思います。ただ誰も責任を取らないというのは良くないので、福山は辞めてもいいのではないでしょうか。

*****

 

結局、中からの声に押されたのか、外からの声か分からないが、枝野さんは今日辞意を表明した。表紙を替えるにしても、有為の人材を使い捨てることのないよう、そして替えるからには、今後の野党共闘にプラスになるようであってほしい。現在の選挙制度では、とにかく共闘しなければ、政権交代どころか、自民党にお灸をすえることさえままならないのだから。

 

 

f:id:yonnbaba:20211102145430j:plain

今日のランチ。民生委員の地区会のあと髪をカットしに行って、帰り道のレストランに寄った。このお店の看板メニュー菜めし田楽のセット。

再起動、リセット、仕切り直し・・・

私がブログでつながっている方たちはほとんど野党支持の方たちなので、昨夜から今朝にかけて、皆さん肩を落としていらっしゃることと思う。

 

私は昨日、夕方からなぜかめまいが始まり、ひどくなる前にと急いで洗面・歯磨きを済ませ、8時過ぎには床に入った。ある程度の悪いニュースはすでに分かっていたが、ベッドの中で最後のTwitterチェックをすると、8時を過ぎたばかりなのに、すでに小川さんと吉田さんの当確がでていて、そのことに慰みを見つけて眠りについた。

 

選挙結果や今後の野党の在り方など、もうあちこちで専門家の方々も語っているので触れないでおく。ただ、とにかく、保守だのリベラルだのでなく、そして政治だけの話でもなく、世の中全体で、中心世代を総取り換えするときが来ているように思う。

 

たかが(と私は思う)選択的夫婦別姓を導入するのにさえ、これほどのエネルギーを費やさなければならない社会は、誰にとっても生きやすいはずがない。いや、上の方で君臨している人たちにとっては、これほど都合よく、のさばりやすい社会はないだろうけれど。

 

大人たちが寄ってたかって、おとなしく、同じ型にはまることを是とする人間に育てておいて、若者よ立ち上がれとか、怒れ、反乱を起こせなどと言うのも申し訳ない気がするが、腐りきった高齢者たちは権力にしがみつき離れない。そのうえこの世代は恐ろしいほど長生きしそうだ(次の世代の方が先に退場となりかねない)。

 

あのじいさまがたが、自ら政治家の定年制など持ち出すはずもなし。困ったことだ。

 

 

f:id:yonnbaba:20211101160539j:plain

私は猫になりたい・・・。  (画像はMapionさんのサイトからお借りしました)

「長蛇の列」がトレンドワード!

朝、傘がなくても大丈夫なくらいの小雨の中、投票に行ってきた。投票先も決まっていることだしさっさと期日前にでも投票を済ませたかったが、私の場合、残念ながら期日前投票所が近くにないので、いつも投票日当日に投票する。

 

私の所ではそれほどいつもとの違いは感じなかったが、帰宅してTwitterをのぞくと、「長蛇の列」というのがトレンドワードに入っていた。もしや・・・と思って開くと、やはりほとんど各地の投票所のようすのツイートだ。20分待ちだの30分待ちだのという報告もある。「何十年も投票しているが、こんな光景は初めて」という言葉も。

 

コロナ禍の投票ということで、いつもより多少時間がかかるとか、距離を保たなければならないとかの要素はあるにしても、どうやら投票率は確実に上がりそうな雰囲気だ。若年層に自民党支持が多いとも聞くので、これが結果にどう影響するかはまだ分からないけれど、どちらにしろ、投票所に足を運ぶ人が増えるのは喜ばしい。

 

例によって、テレビは選挙特番を組んで番組宣伝に忙しいが、私は今回は選挙特番は見ないことにした。近頃録画したドラマ以外あまりテレビを見ないので自分では確認していないが、ネットの情報によれば、テレビの選挙情報は直近の自民党の総裁選に比べても、驚くほど少なかったらしい。

 

そのくせ終わったとたんに選挙特番とはあまりに有権者へのサービス精神に欠ける。よって、選挙結果も、今まで主に情報を収集させてもらったネットから得ようと思っている。一分一秒を争って早く知る必要もない。

 

ああ、それでも、あの人やあの人や、あの人が落選という小気味よい結果を早く知りたいものだ(矛盾!)。選挙区が違うため残念ながら投票することは出来なかったが、声援を送り続けた候補の方たちの当選を見たい。そして一緒に喜びたい。

 

そして何より、政治は変わる、自分たちの投票行動で変えられる、という現実を見たいものだ!

 

 

f:id:yonnbaba:20211031143948j:plain

明るい未来への窓が開きますように・・・。

 

お絵描き教室からスタンディングへ

コロナでずっと開催していなかった”言い出しっぺ”の絵画教室、と言っても、専門家ではないしと料金も取らず、集まって一緒に絵を描いて楽しむ気軽な会だが、はるばる新城市から参加したいという希望があったそうで、久々に開催することになった。

 

子供の時には図画工作も嫌いではなかったのだけれど、どうも大人になったらいろいろととらわれてしまっているようで、過去2度ほど参加して自分の下手さ加減にうんざりし、何か理由があれば遠慮したかったが、ありがたいことに迎えにも来てくれると言われ参加した。

 

yonnbaba.hatenablog.com

 

f:id:yonnbaba:20211030172047j:plain

お目汚しに過ぎないもので恥ずかしいけれど、今日の作品。この他にも4点ほど描いた。

 

モデルはこちら。

f:id:yonnbaba:20211030172242j:plain

骨組みの上にウールの糸を巻き付けて造形したような面白い人形。

 

このあと、投票日前最後のスタンディングに参加した。”言い出しっぺ”は、パソコンで#わたしも投票しますの動画を流した。

f:id:yonnbaba:20211030172501j:plain

私たちの後方の広場では、自民党の候補が集会を行っていた。

消えゆく診察券

この間の雑貨屋さんに続き、消えゆくシリーズ?

 

三か月ごとの歯科の定期検診だった。もともと内装や診察設備のスタイリッシュなクリニックだけれど、このところコロナの影響もあって、紙やアナログから脱し、進化ますます著しい。

 

前回から健診結果のレポートが紙からLINEによる画像送付に変わったが、今回から紙の、と言うかプラスチックの診察券がなくなることになった。スマホに「私の歯医者さん」というアプリをインストールすることで、診察券不要となり、前回LINEで送られてきたレポートも、そのアプリの中の「メディカルBOX」というところに保管されることになった。予約もこのシステムの中で管理される。

 

スマホを持たない人には当然従来通りのサービスが提供されるのだろうが、それにしても、感染症の流行という追い風?もあって、すごいスピードで世の中は変化していく。今のところ支払いは昔ながらの現金だけれど、そのうちなるべく電子マネーでなんてことになるかもしれない。お金までスマホの中に入れることには、まだ抵抗があるのだけれど・・・。

 

 

f:id:yonnbaba:20211029141105j:plain

ご近所さんからたくさん柿をいただいたので、当分おやつは柿になりそうだ。柿が赤くなるとお医者さんが青くなると言われる柿、いっぱい食べよう・・・と言ってもやはり一日一個ですね。

 

ちなみに、豊橋は柿の産地。品種は次郎柿。全国的には富有柿の栽培が一番多いけれど、次郎柿では豊橋が全国一のシェアを占める。

着想の面白さと純愛『二重誘拐』井上一馬著

初読みの著者。翻訳とエッセイが中心で、小説は本作を含め2、3作しかないようだ。翻訳の文章はどうなのか分からないが、この小説の文体は癖もなく平易で、悪く言えば平凡かもしれない。

 

『二重誘拐』というのが、どういうことだろうという興味で手にした。その実体があまりに想像を超えたもので、むしろ妙に筆力のある作家だと内容が苦しくなりすぎる恐れがあるので、この淡々としたような文体で救われたのかもしれない。

 

若い女性が誘拐されて失踪し、2、3年すると家に戻されるという事件が続く。続いているのだけれども、その都度県が違うため同一犯の仕業とすら把握されず、また身代金の要求などもなく、被害者は家に帰ってくるということもあって、多くの事件が未解決のままになっている。

 

警察庁の特別広域捜査課の紀虎鉄平刑事はその「帰ってきた失踪者」に着目し、事件の性質上、警察の事情聴取にもあまり協力的ではない被害者やその家族に根気強く接触し、犯人逮捕に執念を燃やす。

 

物語の中心的な被害者となる弘田千恵は、高校3年生の秋に失踪する。中学からの交際相手である鍋島秀明とけんかをして、一人川べりに残された後、足取りが分からなくなった。秀明は責任を感じ、何年も情報を求めるビラを街中で配り続ける。

 

ミステリーとしては今一つ物足りないかもしれないが、犯罪を憎んで執念深く犯人を追い詰め、被害者やその家族への配慮も忘れない紀虎刑事の人間味と、被害者カップルの千恵と秀明の純愛がこの作品の醍醐味だろう。

 

犯罪は確かに卑劣で胸が悪くなるようなものだが、しかし、犯人像はプロローグで描かれているような悪魔の化身と言うほどのものではなく、たんに身勝手な小心者のように感じた。

 

そして、現代社会がこうした犯罪者を生んでしまう危険性を持っていると訴えたかった著者の気持ちは分かるけれど、「非モテ」を安易にこうしたイメージに結び付けることで、もしかするとまた新たな先入観や差別を生む恐れもあるかもしれない。

 

読後感は爽やかだけれど、人と人が愛や信頼によってつながる、単純で幸福な人間関係が、何と結びにくい世の中になってしまったことよ、と思う。

 

 

f:id:yonnbaba:20211028170115j:plain

 

 

f:id:yonnbaba:20211028170132j:plain

今日の日本語教室で作った、インターナショナルフェスティバル展示用のパネル。

消えゆく雑貨屋さん

先日、市民館へと歩いている時、途中のお洒落なテナントビルの一部が目の端に引っかかった。あら?時々のぞかせてもらう雑貨屋さんの窓がガランとしている。思わず後戻りしてビルのアプローチに踏み込む。やっぱり!雑貨屋さんはすべての商品が引き上げられ、空っぽになっていた。店じまいしてしまったのだ!

 

車がなくては暮らせない私の街では、たいてい買い物は郊外の大型店に行ってしまうため、駅前の中心商業地でさえ、雑貨屋さんやブティックなど、お洒落なお店はどんどん廃業してしまった。まして私の住んでいるところは住宅地だ。この雑貨屋さんはよほど力のある経営者がやっているのか、よく続くものだと感心していた。

 

行くたびに何かしら買っていた私も、だんだんものを少なく暮らしたいと思うようになるにつれ、2度に1回、3度に1回と、買うことが少なっていた。まあ、私が買わなくなったところで痛くもかゆくもないだろうが、きっと去年からのコロナの影響もないことはないだろう。なにしろ、私が豊橋に戻ってきた時にはすでにあり、それから30年近く営業を続けていたのだから。

 

駅ビルなどに新しくできたお店はあるものの、これでもう、私が時々のぞくのを楽しみにしていた元からの雑貨屋さんはすべてなくなってしまった。なんだか寂しい。

 

 

f:id:yonnbaba:20211026141218j:plain

物は増やしたくないけど、雑貨屋さんを見るのは楽しい!