あとは野となれ山となれ

たいせつなことは目には見えないんだよ・・・

半日の運動会

今日は地域の小学校の運動会。過去には結構雨で気をもむことも少なくなかったが、今日は良いお天気で良かった。コロナは第五類になったけれど、学校は大事を取って今年も来賓の招待は各団体の上部役員のみらしく、民生も一般の委員には招待がなかった。

 

内容も午前だけの簡略なプログラムで、本来のようなダンスや組み体操などの事前練習の必要な種目はほとんどないらしい。教師の負担も減るし、子供たちのためにも、ずっとこうしたプログラムでも良いのではないかと思う。

 

この間モーニングに誘われて喫茶店に行ったとき、地域の中学校は事前の練習がほとんどいらないようなゆるいプログラムなのに、小学校が依然として組み体操やらダンスやら、かなり練習に時間を費やしたろうなと思われるものが多いという話を”言い出しっぺ”にした。

 

一時期、全国で組み体操の事故が続き問題になったことだし、もう小学校もこうした種目はやめたらいいと思うのに、こういう競技で大勢がピッタリそろって演技すると、「感動する!」と喜ぶ人が結構いる。中学校ですらしなくなったのだから、小学校もゆるい内容にしたらいいと思うのだが、定年退職後も、講師として高校の教壇に立つ”言い出しっぺ”の意見に考えさせられた。

 

それは、自動的に地域の中学校に全員進学させられる小学校と違って、中学校はほぼ全員をどこかしらの高校に合格させなければならない。競技の内容云々より、正直なところ体育祭の練習に費やしている時間の余裕がないんじゃないかなというものだった。

 

なるほどと思うものだった。そういえば、もう30年以上前になるけれど、私が公文式の教室をしていた時、塾、なかでも学年より先の学習をさせる公文は、小学校の教師には「うとまれるもの」だった。それが中学校に進学した途端、「学校だけで全員が学習について行けるものではありません。足りない分は各家庭で補うように」とはっきり言われ、むしろ塾が推奨されるものに変わった。

 

私は、何かここの中学校の考えがあってこんなにゆるい体育祭の種目なのかと単純に感心していたが、案外その裏にはこうした中学校独特の事情があるのかも知れない。

 

理由が何であれ、事前に何時間も授業を割いて、一糸乱れぬ競技をすることを礼賛するような風潮は、教育現場では早くすたれてほしいものだと思う。

 

 

ここまで大規模ではないが、地域の小学校でも似たようなものがコロナ前までは行われていた。地面に膝をついて支える子供たちが不憫で、私は見ていてつらかった。 丹波新聞さんのサイトより)