あとは野となれ山となれ

たいせつなことは目には見えないんだよ・・・

今読んでいる本

こんな本を読んでいる。

 

昭和30年筑摩書房発行の現代日本文学全集。地域のどなたかが寄贈されたのか、市の図書館ではなく地区市民館の所蔵図書で、通常のバーコード付きの番号がない。この全集が図書室に加わった時から気になっていたが、番号がないので借りることは出来ないのかと思っていた。

 

時々図書室で閲覧したりはしていたが、やはり家でゆっくり読みたいと思い、借りられるのか聞いてみたら大丈夫とのことで、まずは川端康成を借りてみた。

 

こういう手の込んだ奥付。うっとりしてしまう。

 

そして本文は三段組み。A5ほどのサイズの本なので、活字は2ミリか3ミリ。

 

手の込んだ奥付ももちろんだが、嬉しいのは旧字・旧仮名遣い。現在目にする本は古い作品でもみな漢字や仮名遣いは改められてしまっているから、久々の読み心地が懐かしい。

 

以前書いたように、小学校入学前から貸本屋さんから漫画を借りて読みつくす勢いの子ではあったが、私が本当の読書の面白さに目覚めたのは、小学5・6年生くらいの頃だったと思う。まだ学校の図書室で借りるということは知らず、『少年少女世界文学全集』なんていうのを買ってもらっている(当時は学校で注文を取って配布していたが、購入する子はクラスに何人もいなかった)友人に貸してもらったりしていた。

 

父は読書家だったようだが、空襲を受けたからだろうか、我が家の本棚にはわずかばかりの本があるだけだった。戦後は、空襲で経営していた写真館を失ったため4人の子の父の身で初めて公務員となり、自分の本を買うどころではなかったことだろう。

 

それでも私は興味津々でその数少ない父の本(もしかすると姉の本だったかもしれないが)も手に取った。『黒馬物語』とか『あゝ、無情』などがあったように記憶している。そしてそれらの本は、当然それまで私が目にしていた新仮名遣いの表記ではなかった。ちょっと難しかったけれど、判読したり時には分からない字は飛ばしたりして、それでも楽しく読んだ。そうして、それらの本で私は読書に魅入られたのだ。

 

その時の印象が強く残っていて、今回久々に旧仮名遣いの表記を見てその頃が懐かしくよみがえった。これから通常の読書に、この筑摩書房の旧仮名遣いの全集を時々挟んでいこうと思う。