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蓮舫さん応援のため東京にスタンディングに行きたい気分だ!

古内一絵著『東京ハイダウェイ』を読んでハイダウェイを必要としない幸せに気付く

生涯学習センター(旧地区市民館)の新刊本コーナーで見つけた本作。明るく優しい色合いの表紙とはうらはらに、結構苦しみながら生きている人たちの物語だった。

 

 

でも、きっとここに登場する人たちは決して特別な人たちではなく、現代社会で働く人は多かれ少なかれ日々こうしたストレスにさらされているのだろう。

 

新型コロナウイルスがまだまだ猛威を振るっていた2022年夏から2023年夏の1年を舞台に、インターネット上で総合ショッピングモールを運営する中堅電子商取引企業で働く男女何人かと、カフェチェーン店の店長を務める女性、その女性の大学の同級生の息子などが、所々で繋がりながら登場する連作短編形式の6つの物語。

 

それぞれに余裕のない毎日を過ごす中で、その人だけが見つけた大切なハイダウェイ―隠れ場所―を持つ。その隠れ場所として出てくる東京の施設がとても魅力的で、読みながら、その中のいくつかを実際に見るために東京行きを計画しようかという気になった。

 

登場人物たちはその隠れ場所のおかげでなんとか厳しい現実に耐えられているのだけれど、耐えるだけでなく、苦しい日々を前向きにとらえいくらかでも積極的に楽しい方向へと切り開く力になるのは、その隠れ場所で出会う「人」の力だ。隠れ場所があることは心強いけれどやっぱり人を避けないで、人は面倒のもとでもあるけれど、喜びのもとでもあるんだよという著者のメッセージを感じる。

 

6つの話のどれも良いけれど、カフェチェーンの店長を務める植田久乃が、結婚をせっついてばかりで反発を感じていたいなかの母との心の距離を解消し、同時に周囲の人間との距離感にも目覚める「眺めのよい部屋」は、とりわけ心を揺さぶられた。

 

どの話もよいので、読む人それぞれに心に残る作品が違うことだろう。それにしてもなんと現代社会の生きにくいことよ!の感を深くする。いや、昔だってきっと生きにくく傷だらけの人もたくさんいたに違いない。ただ、インターネットのような声を出しやすい手段がなかったから、そういう人の思いは人に知られることもなく、世の中から消えていっていただけなのかも知れない。たぶん昔も今も、生きるということはそういうことなのだ。そうして、だからこそ、時々きらめくような人間関係に震えるのだろう。

 

心地よくととのえた我が家、それを乱す人はなく、気を遣う人もなくて四六時中ゆったりしていられる。こんな私には隠れ場所など必要ない。我が家が一番の隠れ場所なのだから・・・と気づいて、自分のありがたい現在にあらためて感謝する。