先月弘前で会ってきた友人から葉書が届いた。
ところが情けないことに、書かれた文字が読めない。調べてみたが、ネットでも我が家の漢和辞典でも見つけることができない。「日本語大辞典」と「広辞苑」は、先日小学校の資源回収の時に出してしまい、もう我が家に大きな辞書類はない(そもそもどちらも漢和辞典でもないが)。
けれども、どうやら「髙」の下の字が「秋」の旧字の一つであるらしいことはわかった。よって、おそらく読みは「こうしゅう」で、秋たけなわの季節というような意味かと思う。
この友人はもう長いこと書道を習っていて、かなり大きな賞も受賞したりしている。先日会った時の話では、大きな賞をいただくとそれなりにお金もかかるのだそうで、そのため最近とうとう習うことをやめたのだと言っていた。
何の世界もお金がものを言うのねと、二人で苦笑いになってしまった。書道そのものは好きなのだそうだから、残念なことだろう。もちろん自分で書いて楽しむことはできるが、師について学ぶことができないのは、きっと無念だろうと思う。
ひるがえって私は、何もかもが中途半端で、何一つこれならばひとかど!と言えるものがなく、資格を取得したものもない(履歴書に書ける唯一の資格だった運転免許は返上してしまった)。これで身の回りをシンプルに片づけたら、本当にスッカラカンという感じで、いっそ清々しいのだけれど・・・。