あとは野となれ山となれ

たいせつなことは目には見えないんだよ・・・

短夜(みじかよ)を実感する

この春以来、コロナ禍の影響で、学校やら地域そしてボランティアの仕事もほとんど中止や延期となり、出不精でそうした用件でもなければ家から出ようとしない私は、下手をすると大変な運動不足になってしまう。体力や筋力は、つけるのは難儀だけれど、落ちる方はいとも簡単だ。そうなっては大変と、雨が降らない限り、なるべくウオーキングをするようにしている。

 

この季節になると、日焼けも心配なので、いきおい歩くのは日が相当傾いてからということになり、始めるのは6時半過ぎとか、ともすると7時近かったりする。それから30分から小一時間ウオーキングをして家に帰り、夜の念入りな歯磨きをしたり洗面入浴などを済ませると、遅い時には8時を回ってしまう。

 

就寝は10時を目指しているので、寝る支度が整うと残りは2時間を切っているということになる。こうなると、2時間ドラマや映画はもう見られない。昼間いくらでも時間があるのだから昼間見ればいいようなものだが、長年の習慣なのか、どうも暗くないとじっくり腰を落ち着けて見る気分にならない。

 

夏至の一番日没の遅かったころに比べると、すでに5、6分は日の入りが早まってはいるものの、まだしばらく外歩きの時間は遅い日が続く。平気で夜更かしをしていたころにはあまりピンとこなかった「短夜」という言葉が、しみじみ実感されるこの頃だ。

 

 

この頃の短夜とはいへど病ある身の寐られねば行燈の下の時計のみ眺めていと永きここちす。(正岡子規 『墨汁一滴』)

 

子規のこの思いは、一昨年足の手術をした入院時に私も味わったので、非常に共感を覚える。たとえ短夜でも、寝られない身には夜は実に長いものだ。

 

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幸い、私は順調に回復し、短夜もしっかり眠りさして苦もない日常を送れているが、病やらさまざまな被災やら、短い夜さえも辛い、長い闇の中にいらっしゃる方々がいる。民間でも多くの人たちがそういう方たちのために心を砕いているが、どうか政治の手がいちばんつらい方たちに届くようにと願う。

 

 

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