あとは野となれ山となれ

たいせつなことは目には見えないんだよ・・・

「ぼっこ」北海道と東三河と

「ねとらぼ」の記事に、北海道の人が「ぼっこ」という言葉を方言ではないと思っていた、という話が載っていて、あら、北海道でも「ぼっこ」って使うんだ・・・と思って読んだら、まるで意味が違っていた。

 

北海道の「ぼっこ」は「棒っこ」つまり棒のことだそうで、これは東北弁全般にもよくある、名詞に愛着を表す「こ」が付く表現だ。「犬っこ」「猫っこ」「べこっこ」。津軽弁でも大いに出てきた。

 

でも、我が東三河で言う「ぼっこ」はまるで違う。「ぼろきれ」のことだ。水前寺清子さんの「♪ボロは着てても心は錦・・・」のあの「ボロ」に当たる。三河弁で歌えば「ぼっこ着とっても・・・」となる。まあ、ひとシーズン着ない服は捨てましょうという今の時代はボロそのものが存在しないだろうから、若い人たちはもしかした知らないかもしれないけれど。

 

そしてさらに今となってはもう60代も前半の人は知らないかも知れない、「ぼっこやさん」という商売が昔はあった(昭和30年代くらいまでだろうか)。各戸の「ぼっこ」、つまり不要な布類を買い取って歩く行商人だ。

 

各戸を回り歩く商売と言えば、私が子供の頃には、まだ鋳掛屋さんも回ってきた。穴の開いた鍋や折れた傘の骨を、台所の土間や庭の縁側に座り込んで直してくれた。そんなふうに直して直して使って、いよいよダメとなると、今度は「鉄くず屋さん」が来て買い取っていった。

 

江戸物の小説に出てくるような世界の名残が、まだあったんだなあと懐かしく思う。いまやほとんどのものが使い捨てになってしまった。

 

 

それから、全然関係ないけれど、「ぼっこ」と言えばどうしても思い出してしまう。星新一さんの『ボッコちゃん』。秀作ぞろいの星さんの作品の中でも、特に充実している。Amazonの星さんの作品の売れ筋ランキングでも、みごと1位に輝いている。

 

 

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