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疎外と受容を思う『ガラスの海を渡る舟』寺地はるな著

コロナ禍中の2021年の序章から始まり、2011年の第1章から2021年の終章まで、10年間の兄妹の物語が、兄と妹交互の視点で語られる。

 

兄妹の父は他の女性のもとに去り、母親は料理の仕事で売れっ子になり不在がち。そんな中、二人はガラス工芸家の祖父の手で育てられる。その祖父が亡くなり、二人が工房を継ぐのだが、発達障害気味の兄と、その兄にいつも母親を独占されているという思いを抱えて育った妹とは、心が通い合うこともあまりなくうまくいかない。

 

始めのうち、私はこの妹の羽衣子が少々苦手で、なかなか読み進めなかった。羽衣子はなんでもそつなくこなせるが、自分は特別な存在でありたいのに際立ったものがないことに焦りを感じているという、どちらかといえば私に似たタイプだ。けれども、人間というのは案外自分と似たものにイライラしたり腹立たしさを感じたりする。

 

その点、周囲に合わせようとしても到底合わず、泥道で転んで泥だらけの格好でも平然と電車に乗って帰宅してしまう兄の道には、なぜか好感を抱いてしまった。自分の息子がこんな格好で帰宅したら、目を吊り上げてしまいそうなのだけれど。

 

震災の2011年とコロナ禍の2021年を行き来しながらの物語には、現実にあったことや人々の思いが織り込まれている。自分が少々辛くても、もっと大変な目に遭っている人がいるのだから、弱音を吐くのはそうした人に申し訳ないと思って飲み込み我慢する人の描写があるが、震災でもコロナでも、そしてウクライナで戦争をしている現在も同じだ。心優しい人はよりつらい人を思って声も上げられず、反対に、ひどい状況下でどんなに苦しんでいる人がいても、救うどころか、それによって太る人々が政界や財界にはいる。

 

ちぐはぐな二人のガラス工房はなかなか軌道に乗らない。ふとしたことをきっかけに、道はガラスの骨壺作りに熱心になるのだが、羽衣子は不吉なもののようにそれを嫌い、道が看板を出すのも拒絶する。

 

一番身近な祖父を亡くしていながら、羽衣子がここまで骨壺に嫌悪感を持つことにいくぶん違和感を感じるが、いろいろな経験を通して、徐々に彼女が兄の道に心を開き、骨壺にも理解を示すようになる過程を描くには、どうしても必要な設定だったのかもしれない。

 

愛する人との別れがあったり、自分を理解し寄り添ってくれる人との新たな出会いがあったり・・・。それらが激しいガラス製品の作業風景とともに描き出される。

 

少し前に読んだ、同じ著者の『月のぶどう』もやはり双子の姉弟の物語りで、こちらは生まれてからずっと「じゃないほうの」弟の視点の物語りだった。たしかに、兄弟というのは、人間が生まれて初めて出会うライバルだ。私自身、大人になってもというか、11歳も違ったので子供の頃はむしろ感じなかったが、大人になってから、姉に対して母の関心をめぐって嫉妬を感じた。

 

自分では我が子らに対して極力平等に育てたつもりだったけれど、兄も弟も、やはりそれぞれに感じるものはあったようだ。おそらく昔のように大勢の兄弟姉妹で育てば、そんな嫉妬やら、兄弟間のウマの合う合わないなど、ちまたの人間関係の前哨戦のようなものを経験するのが当たり前だったのだろう。そうして心も鍛えられていったのだろう。

 

道のように、同じであろうとしてもどうしても違ってしまう人がいる。いや、本来、工業生産品でない人間は、みんな違うのだ。そんなことを改めて感じ、でも、皆とは違うとびぬけた存在になるのは難しい。同じになろうとしなくてもいいし、とびぬけた存在になろうとしなくてもいい。ただ自分らしく生きることが大切なのだよと、力の入り過ぎた肩をポンポンと叩いてくれるような物語だった。

 

夫を亡くし生きる気力を失くしているらしい女性が、道の骨壺を注文してきた。羽衣子の作品であるガラスのピアスを見て気に入り欲しくなる。イアリングに直しますと言う羽衣子に、その女性は「欲しいものができたから、もうすこし、生きていたくなっちゃった」と言う。

わたしのつくったものが、誰かが明日を生きる理由になった。手の震えがとまらない。

という、ここの羽衣子の言葉に非常に打たれた。

 

つるひめさん(id:tsuruhime-beat)、素敵な本を教えてくださり感謝です!