あとは野となれ山となれ

たいせつなものは目に見えないんだよ

政治批判から地域の力まで

社会福祉協議会からの民生委員に対する何やらの費用が当初予定額より引き上げられ、補正予算があったとかで、それを審議する臨時総会があり、10分にも満たない会議の後研修のための講座があった。

 

講師は隣の浜松市にある大学の社会福祉学科の教授で、テーマは「今、地域に必要なこと~見まもりの輪が広がることを願って~」。

 

不安定雇用による貧困や年金制度が高齢者の生活を支える制度になっていないとか、103万円の壁の問題は一見女性を優遇する制度のように見えて、実は女性が働けない制度の社会になっているなど、なかなか鋭い政治批判で始まった。

 

地域という生活基盤そのものが衰退し、企業にあった従業員同士の助け合いの機能も失われた(企業にとって従業員は搾取の対象でしかなく、その従業員同士は助け合いどころか蹴落とすべき敵でしかないような昨今だ)現在、民生委員が過剰な負担を抱えることなく、地域のゆるやかな「見まもり」を広げる装置となって、公的援助が細分化され過ぎてはざまに落ちてしまいがちな、あやうくなった隣人をセイフティネットにうまくつないでいくように・・・という話だった。

 

政治批判で始まったが、やはりどうしても末端においては地域の人々の顔の見える関係づくりしかないのだろう。現在の制度で、はたしてこれから何十年先もこの民生委員制度が機能していくのか不安だけれど、制度の在り方は変わるにしても、おそらく近隣・地域社会の重要さは残るのではないか。あるいはすべての世帯がAIで「見まもられる(監視)」社会を選ぶのか?

 

年齢の問題があってあと2年間と終わりが見えている私にとっては、とりあえずこうした制度の下での活動になるし、退職後自分がしたいと思っていたことの一つ(子育て世代や高齢者がつながるお手伝い)なので、結構参考になる研修だった。

 

 

くっついてると安心・・・助け合おうね。 (ねこのきもちさんのサイトより)