あとは野となれ山となれ

たいせつなことは目には見えないんだよ・・・

カーテンタッセル

今季の冬の始めに居間のカーテンを新調した。もう3か月になろうとしているが、そのタッセルを一度も使っていない。

 

今までの私は、カーテンを開けたら必ずタッセルでまとめていた。タッセルの高さも気にして、カーテンの上部がゆったりドレープを描くように注意してまとめ、時にはそのタッセルにも凝ったりした。

 

ところが、大好きな『きのう何食べた?』を何度も見ているうち気が付いた。シロさんの部屋のカーテンは、いつもタッセルで止められていないことに。なんだかそれが自然で自由で、二人の部屋にとてもふさわしいように思える。

 

いつもいつも計ったようにキッチリ止める我が家のカーテンは、少し息苦しいような気がしてきた。それで今までの習慣を改め、止めないことにしてみた。今のところこれが気に入っている。

 

私は神経が太く周囲への気遣いも足りなくて、空気も読まずに辛辣なことを口にしてしまったりする人間なのだけれど、変なところで妙に細かく、A4の紙で印刷して半分に切ってチラシを作る時など、まとめて何枚か一緒に折って切れば能率的なのは分かっているが、きれいにできないのが気になって、一枚ずつキッチリ折って作る。出来上がったものを集めると、初めからA5の用紙であったかのように揃うのが望ましい(もちろん、相当大量に作るとなればこんなことはしていられないけれど)。

 

学校の家庭科で裁縫をしても、2枚の生地に待ち針を打つと、どうしても下の生地はきれの厚み分の誤差がでて印から待ち針がずれる。それが非常に気になって2枚とも印通りに針を打ちたいと苦労した。

 

長男を生んだ後、当時購読していた『すてきなおかあさん』という月刊誌の裁縫のページに、「近視眼的にならず、大らかに、時には型紙なしで作るくらい気楽に挑戦しましょう」というような記述があり、まさに目から鱗が落ちた。少々のずれなど気にせず、時には直線裁ちの簡単洋裁に挑み、赤ちゃんの服や自分の普段着づくりに気軽に取り組めるようになった。

 

以前にも書いたことがある昔見たジュリア・ロバーツの映画『愛がこわれるとき』で、ジュリアのDV夫が超のつく潔癖症で、洗面所のタオルがちょっとずれていてもキッチリと直し、食品棚の缶詰のラベルがずれていると、全て正面を向けて揃えていた。そうした場面が夫の異常性を強調してどんどん観客の恐怖を募らせていくのだけれど、その時に、自分にも程度こそ違えそうした傾向があることを自覚した。

 

その映画だけでなく人生の様々な経験から、あまりきっちりしているより、少々だらしないくらいの方が、大らかで人にも優しくなれていいのではないかと考えるようになり、この何十年かは適度にいい加減になるよう努めている。

 

 

大好きだった『すてきなおかあさん』(日本の古本屋さんのサイトより)