あとは野となれ山となれ

たいせつなことは目には見えないんだよ・・・

ちょっと早く届いた花

今度の日曜日は母の日ということで、ちょっと早く可愛い花が届いた。

 

自分は晩婚であろうと思っていたが思いのほか早く結婚し、子供にも恵まれ、幸運なことに子供たちは二人とも元気に成長した。これだけで十分幸せだったと思う。二人が高校・中学へと進学するときに離婚する事態になったのは想定外だったけれど、今ではそれさえ私にとっては良い経験だったと思っている。

 

子供たちは、私のもとに生まれてくれて楽しい子育てを経験させてくれただけで十分ありがたい。親の方はもう子供の日を祝ってやることもしなくなったのに、こうして毎年花を贈られるのはちょっと申し訳ないような気もするけれど、しばし可愛い花をありがたく楽しませてもらおう。

 

NHKのドラマ『燕は戻ってこない』を見ていると、不妊治療の果てに代理出産まで考えるほど子供を持つのに大変な思いをしている人もいるということを思い知らされる。また、大学卒業と同時に何百万もの借金を背負いその返済に追われて、結婚や出産どころではない状況に置かれている、現代日本の若者の姿にも胸が痛む。

 

まだまだ「結婚適齢期」などという観念が当たり前にあった時代に、夢見る乙女の域を超えない状態で結婚してしまい、さらに当然のように親となって生きてきた。「素敵なお母さん」に強い憧れがあった私としては幸運なことだったけれど、『虎に翼』など見るにつけても、この時代に先駆者の女性たちがこんなにも努力して拓いてくれた道を、受け継ぎさらに歩きやすいものにする努力を全くせずに来てしまった自分の不明を少々恥じる。

 

寅子の時代からずっと、能力があり社会でそれを活かしたい女性には非常に困難の多い状況だったけれど、「100年先でまた会いましょ」と寅子がもし現代にやってきても、なあんだ大して女性が働きやすい世の中にはなっていないじゃない!とがっかりさせてしまいそうだ。そしてさらに悲しいことに、ごく普通に結婚し出産したいと思う女性にとっても、大変生きにくい社会に劣化してしまったように思われる。

 

今朝のニュースでは、名古屋で里子を育てる同性カップルが、さまざまな困難を避けるため同じ名字への変更を求める裁判に勝訴したことを伝えていたが、これなど選択的夫婦別姓の制度が当たり前の社会であれば、まるで必要のない努力のはずだ。

 

誰もが、どこにいても、きちんと人権を尊重され健康で文化的な生活が送れる。そんな世の中は、いったいいつになったら実現されるのだろう。人類(とりわけ日本人)は本当に知恵ある生きものなのだろうか・・・などと、可憐な花を見ながら壮大な(でも当たり前なんだけど)ことを考える。