あとは野となれ山となれ

たいせつなことは目には見えないんだよ・・・

馬の飼える家

昨日花を買いに出かけて休日に当たってしまったので、今日出直したいところだけれど、今日は日本語教室の日なので、お花はおあずけ。

 

今日も生徒さんはFさんお一人(スタッフは4人プラスチビちゃん1人)。Fさんは昨年からいらした方だが、とても熱心に通ってくださっている。今日学習したテキストの内容に犬と猫が出てきて「動物はいいですよね」という話になり、私は猫を飼っていたことを話した。

 

すると、ペルー出身のFさんは、お国では馬も牛も犬も飼っていたと仰った。スタッフ全員、「馬が飼えるほど広いおうちだったんだ~!」とびっくり。

 

これまでにも学習の中での会話から、ペルーが西の方の海岸側と中央部の山岳地帯と、ブラジル側の3つの地域の環境が全然違うことは聞いて知っていたが、今日の話の中に海の側と山岳側と、もう一つの地域の表現に「アマゾン」と出てきて驚いた。

 

どうも私の中では、「ペルー」というと条件反射のようにマチュピチュや「コンドルは飛んでいく」のイメージが脳内に再生されてしまい、「アマゾン」はもっぱらブラジルの専売特許のようになってしまっている。生身の人間を介して取り入れる知識は、かくも机上の知識とは違う。いや、単に私がものを知らないだけかもしれないけれど。

 

実を言えば、彼女から「海側地域」のことを聞いた時、ペルーが海沿いの国だという認識さえなく、「ペルーに海?!」とちょっと驚いたのだ。とにかくそれまで私の中ではペルーと言うと、険しいアンデス山脈の所にある国という認識しかなかった。

 

かくのごとく、人間というものは自分と関係のないことには無頓着で、毎日の情報の洪水の中から、関心のあること、必要を感じることばかりを無意識に取り入れている。かつてネパールの少女の里親をしていた時は、海外ニュースで「ネパール」と聞こえると反射的に聴覚がそちらに向かった。そんな縁が無ければ聞き逃していたかもしれない。

 

旅行自体にあまり興味がなく、まして海外など一生縁が無かろうと思う私だが、こうして考えると、様々な国で暮らし、あちこちに知人がいれば、おのずと関心も広がり、人生が豊かになることだろうと想像される。私などは全くの井の中の蛙。そも浅学なうえに関心の幅も狭く、何も知らないまま人生を終えることになるのだろう。

 

誘ってくれる方がいて「国際協力コスモス会」(現在は退会)や日本語教室に関われ、いろいろな国の方と交流することができたことは、ありがたいことだと思う。

 

 

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私の中のペルーのイメージ。縦笛でなくケーナならさらにピッタリ。

                     (tabinaka.co.jpさんのサイトより)