先日の月曜日、見守り隊の会議に出席した折りに、参加者の一人から「ある町内の朝の旗持ち当番は、いつも同じ人がやっている」ということが指摘された。旗持ち当番というのは、小学校に通学する子供の親が、登校時の要所で黄色の旗を持って見守りをすることで、おそらく1週間交替くらいでしているのだろう。
同じ人ばかりが負担を負っているのは、公平でなくて問題だということだろう。その場では会議の進行係の教頭先生が、調べて対処しますという応答だったが、私は改めて旗持ち当番とは大変だなと感じた。
この地に戻ってきたとき、うちの息子たちはすでに高校生と大学生だったので、こうした地域の特殊な子育て事情とは関係なく暮らしたが、もしもその頃まだ子供が小学生だったら、私はこの当番にどう対処しただろう。
我儘な私は職場を転々としたので通勤事情もいろいろだが、それでもたいてい朝7時半前後には家を出ることが多かったと思う。8時前後の旗持ち当番は、当然ながら引き受けることはできない。でも公平に誰もが分担しなければいけない役目だと言われたら、どうすればいいのだろう。
今から40年以上前に、犬養道子さんがエッセイに「日本は専業主婦ありきのシステムで成り立っている」と書いていたのが忘れられない。回覧板とかゴミ出しのルールとか様々な例を挙げてヨーロッパの合理的なシステムと比較批評していて、なるほどと思って読んだ覚えがある。
パートや派遣待遇ではあっても、主婦の多くが働くようになって、少しずつ世の中の仕組みや家庭での男性の役割も変わってきた。それでも、いまだ家事の中心的担い手のほとんどは女性であり、「名もなき家事」などということが話題になったりするほど、主婦としての雑事が女性を苦しめている。
AI搭載の冷蔵庫が買い物や料理を助けてくれたり、お掃除ロボットが掃除を代わってくれたり、技術の進歩が徐々に家の中の仕事を楽にしてくれている。次に待たれるのは洗濯物をたたむロボットとかも聞くが、生活の邪魔にならない空間的ゆとりさえあれば、ハンガーにかけて乾かした洗濯物をまた着用することで、洗濯物をたたむという家事は不必要になる。これも40年以上前の犬養さんの著書に書いてあった方法だ。
最近では、年末の台所の大掃除などをプロに依頼するという選択肢も珍しいことではなくなってきた。家の中の雑事を新しい機械やアウトソーシングで乗り切るように、旗持ち当番も、どうしても必要なら行政で人を雇ってしまったらどうだろう。
現在も校区に1名だけではあるが、行政に雇われている交通指導員がいて、朝は旗持ち当番の親御さんと、下校時は私たち老人会の見守り当番とともに子供たちを見守っている。予算を付けて増員すれば、朝の忙しい時間の旗持ち当番から親御さん方を解放できる。
当然行政側は予算がないというだろうが、要は税金の使い方で、住民が何を求めるかという問題と、あとは先日の赤い羽根街頭募金の際にも触れた、「大変な思いをして取り組むことに意義がある」という考え方が案外厄介かも知れない。
これは東京中野のある地区の旗持ち当番風景。(中野区のサイトよりお借りしました)