あとは野となれ山となれ

たいせつなことは目には見えないんだよ・・・

何年ぶり?の赤ちゃん訪問

近頃貴重な「した事」の記録。

 

昨日は民生委員の地区の例会に参加し、今日の午前は日本語教室。で、午後は主任児童委員さんと久々の赤ちゃん訪問を行った。

 

かつてはもっと頻繁にあったのだろうけれど、少子化と言われる昨今、ご多分に漏れず私の担当する地区(およそ300世帯弱)でも、赤ちゃん訪問は年に1件かせいぜい2件だ。コロナ禍になってからはそれさえも中止になり、今日は3年ぶりの赤ちゃん訪問を行った。

 

三人目のお子さんとのことで、赤ちゃんを抱っこして玄関に出てきたお母さんは、何の不安も持っていない様子だった。市からのささやかなプレゼントと、赤ちゃん連れで参加できるイベントの案内を渡して、あっけなく終了。周りの愛情をいっぱい貰って、元気にすくすく育ってほしい。

 

 

大人の過失で小さな命が失われる、あってはならない事件がまた起こってしまった。それでなくても胸をかきむしられる思いだが、ことの詳細が分かるたび、どんなに悲しくて怖ろしくてつらくて寂しくて心細かったろうと、少女の絶望を思う。そして同時にこんな亡くし方をされたご家族のつらさも・・・。

 

今日こんなツイートを見つけた。こういうシステムがあるのなら、ぜひ早急に日本でも導入を義務付けてほしい。どうもこの国はなにか事件があるたびに、きちんと原因を究明し、解決策を講じるという努力がなおざりにされているように思う。

 

終わってしまったことに時間をかけても無駄だというような意見が巷を賑わせているが、悲しいことに愚かな人間は、ことが起こってしまった後にならなければ学べないことが多い。未然に防げればそれに越したことはないが、残念ながら事件が起こってしまった場合、終わった後であっても、しっかり追跡し分析し、講じられる対策は講じるべきだし、罰するべき罪は罰しなくてはならない。

 

これなども、この店主を不問にしてしまったら、料理を提供する側とそれを食する客との間に信頼があって成り立っている外食産業が、成り立たなくなってしまう危険をはらんでいる。

 

なんでも水に流し、空気を読み角を立てずに和を以て貴しとなして暮らしてきたこの国の文化が、今まではなんとか良い方の作用が多くて治安のよい暮らしやすさを生んでいたのかもしれないが、どうやらどなたかのおじいさんの時代からのうやむやのツケが、どっと回ってきてしまったように思える。

 

いまこそ、私たちは覚悟を決めて、都合の悪いことにも向き合わなくてはならない。

 

 

ハグッ!           (クレイジーさんのサイトより)

 

 

先週土曜日のスタンディング