あとは野となれ山となれ

たいせつなことは目には見えないんだよ・・・

昭和5年と令和5年の夏

昨日取り上げた本『ちくま文学の森第2巻』に吉野せいさんの『洟をたらした神』も収められている。以前これもやはり旧ブログで感想を書いたが、一語一語研ぎ澄まされ、命を削るようにした書いたかと思われるような、珠玉の名編である。

 

yonnbaba.hatenablog.com

 

このかぞえ六つの少年ノボルの話『洟をたらした神』は、文末に「昭和5年夏のこと」とある。平成をはさんで、時は今ちょうど令和5年夏である。

 

「青洟が一本、たえずするするとたれ下がる。ぼろ着物の右袖はびゅっと一こすりするたびに、ばりばりぴかぴかと汚いにかわを塗りつけたようだ。大方ははだしで野山を駆け巡る」、ノボルはそんな子だ。

 

90年ほどの時を経て、現代のノボルは見えにくくなっている。そしてノボルのような生きる逞しさも失っている。それは子供のせいではない。社会全体に、生きる逞しさが失われてしまったのだ。

 

90年と書いたが、実は70年ほどのことかも知れない。このノボルの家の貧しい開拓民の暮らしは、国に捨てられ地獄をはいずるようにして命からがら満州から帰国した人々の暮らしと私の頭の中で重なった。

 

故国に待っていてくれる家族や親せきがあれば良いが、そうでない人々は、やっと戻った祖国で、このノボルの家族のような苦しさを味わって開墾するしかなかった。しかも帰国が後になればなるほど、どうしようもない荒れ地しかなかった。

 

「自己責任」の棄民政策は今に始まったことではない。たまたま何もない焼け野原からの再出発であったことや、朝鮮戦争を奇貨としたこともあってみるみる経済が力をつけ、引揚者も戦災孤児も、何ら国の援助のない中でも、なんとかかんとか生きてきたのがこの国の戦後だ。

 

しかも悲しいことに、そうした時代の中にあっても、国の補償を求めて闘う人に対して激しいバッシングがあったことも、今とあまり変わりはない。この国の多くの人々は、皆で連帯して暮らしやすい社会を求めるのではなく、一丸となって「汗と涙と根性」で耐え抜くのが好きらしい。

 

怠け者の私は汗と涙と根性はまっぴらで、ぜいたくできなくてもいいから、毎日心穏やかに、美しいものをめで、些細なことを楽しんで暮らしたい。立場の弱い人が理不尽に苦しんでいるのを見て、心を騒がせるのは悲しい。

 

政治はそうした人たちを助けるものであって欲しい。出自も国籍も主義主張も関係なく、縁あってこの国に暮らす人すべてに手を差し伸べてほしいと願う。そのために私たちの税金は使われてほしい。

 

 

吉野せいさんの作品集が文庫で出ているようだ。