あとは野となれ山となれ

たいせつなことは目には見えないんだよ・・・

ことだま

少し前のTwitterに、ある女性議員が言った「〇〇野郎」という言葉に対して、22万円の賠償命令が下ったということに関連するツイートがいくつか流れてきた。

 

私もそう呼ばれた人物の下劣さには非常に腹が立っているし、しかも弁護士の橋下徹氏が別の女性議員に対して同じような言葉を吐いたことは不問(もちろん訴訟を起こさなければ賠償命令もないが)になっているとあっては、納得のいかない思いもする。

 

けれども、22万円の賠償命令を受けた女性議員には、やはりそのような言葉を使ってほしくなかったとも思っている。売り言葉に買い言葉になってはいけない。相手の土俵に引きずり込まれてはいけない。

 

第二次安倍政権の安保法を阻止したくて、初めて市民活動らしきものに踏み出した2015年当時、私は政府のやり方に非常に腹を立ててはいたが、仲間と話す時に、どうしても首相のことを呼び捨てにすることは出来なかった。

 

それから8年の年月が過ぎ、近頃ではともすると政治家を呼び捨てにしてしまっていることのある自分に驚く。安倍政治の残したもののうち最悪なものは、この国のあらゆる分野の劣化、下品化かも知れないと思う(しかし、それを理由に自分の低劣化を正当化してはいけない)。

 

文は人であり、言葉もまた人だと思う。言葉で考え言葉で人に伝え、人格は使っている言葉に影響を受けていくと思う。だからこそ、選ぶ言葉には慎重でありたいと思っているが、人はまた環境の生きもので、Twitterに流れる言葉、テレビやネットから聞こえる言葉など身の回りにあふれる言葉が荒れてくると、その「荒れ」にいつの間にか慣れていってしまう。

 

今の社会はまるで弱肉強食の獣じみた様相を呈し、人の上に立って大きな影響を与える立場にいる人たちの許しがたい理不尽な言動が多すぎて、尋常な言葉ではその怒りを十分表現できないもどかしさを覚える。それでも、なんとか自分が愛想をつかすような自分にならないよう、自制していきたいとは願っている。

 

 

すんごく腹立つけどねっ!  肉球ドットコムさんのサイトより)