あとは野となれ山となれ

たいせつなことは目には見えないんだよ・・・

無法の国に生きる

臨時国会召集訴訟で原告野党議員側の敗訴が確定した。

 

NHKニュースサイトによれば、長嶺安政裁判長の判決理由は以下の通り。

12日の判決で最高裁判所第3小法廷の長嶺安政裁判長は、憲法53条の規定について「臨時国会の遅れによって個々の国会議員の権利や利益が侵害されたということはできない。召集を要求した国会議員が、遅れを理由に国に賠償を求めることはできない」として上告を退け、野党議員側の敗訴が確定しました。

 

参考までに憲法条文:

第53条:内閣は、国会の臨時会の召集を決定することができる。いづれかの議院の総議員の四分の一以上の要求があれば、内閣は、その召集を決定しなければならない。

 

わずかな救いは、裁判官のうち学者出身の宇賀克也裁判官が述べられたという「内閣は議員の要求から20日以内に召集決定をする義務を負う。今回は臨時国会の審議は全く行われなかったので、要求は拒否されたと見ざるをえず、特段の事情がないかぎり違法といわざるをえない」という反対意見である。

 

そもそも権力を持つ立場にある者が、その力を利用して法に触れる行為をしてくるとき、弱い立場の者が最後に頼るのが司法のはずだ。それがことごとくと言ってもいいほど権力側に都合の良い判断ばかり示されるのでは、弱者は不当とどう戦えばよいのだろう。

 

先日書いたように、私の住む市でも、パブリックコメントといういかにも市民の声を聞く制度のように装いながら、行政の必要な結果になるまで期限を延長したり、組織的な投稿を集めたり(状況証拠に過ぎないが)されたのでは、こちらはなすすべがない。

 

このパブコメを市のホームページ上で公開するための資料を作成した職員や、窓口で何百枚という大量の意見を受け取ったであろう職員はどんな思いなのだろうと、本来市民のために働いてくれていて感謝する対象のはずの市職員に対して、疑心や不信の念を抱いてしまうのも、同じ市民どうしとして不幸なことだと感じる。

 

こうした不幸が地方でも中央でも蔓延し、優良企業の少ない地方はそれほどではないにしても、優秀な人材は役人など目指さなくなってしまい、ますます内部の劣化は進んでいくだろう。

 

先週末の集会で10月からの署名活動がスタートを切ったが、まるでその活動に集中するのを邪魔しよう(反対理由の一つに、アリーナを建設すると建設可能面積がほとんど残らなくなり、吉田城の整備が思うようにできなくなるということがある)とばかりに、市は公園の建築基準に係る建築物の制限緩和という策を打ち出してきた。

 

これにもパブリックコメントを募集しており、今回のことを踏まえてよりたくさんのパブコメを書かなくては・・・などと思うと、たった1か月間という縛りの中での署名活動なのに、時間やエネルギーが多少ともそがれる気がしてならない。

 

力のある立場の者が、その力を利用して法や条例も都合の良いように変える。私たちに与えられている力は選挙での一票なのだけれど、その大切な1票をどぶに捨てている人が半分もいて、そして残りの半分の人さえも、金や力で圧力を掛けられている人もいるわけで、この無法の国で信念に生きるのは、本当につらいと思う日々である。

 

 

アタシはアタシの道を行くの! フェリシモ猫部さんのサイトより)