あとは野となれ山となれ

たいせつなことは目には見えないんだよ・・・

納得の「なぜ維新なのか」

先日のスタンディング仲間のミーティングの折りに、メンバーの一人からあるコピーをいただいた。「週刊金曜日」に掲載された雨宮処凛さんの「乱気流第19回」で、『「なぜ維新なのか」私論』というものだ。

 

6月にマガジン9の連載で書いた「なぜ維新なのかについてのロスジェネ的考察」が大変な反響を呼んだそうで、そのダイジェストのような内容(元々の記事も検索すればネット上でまだ全文読める)なのだけれど、これがもう本当に「そうだったのか!」と非常に納得のいくものだったので、ご存じの方も多いかも知れないがご紹介したい。

 

雨宮さんご自身もロスジェネ世代で、出身地の北海道でそのまま、地元でメジャーな「自衛隊員の妻」などになっていたら、結婚相手がイラクにでも派遣され突然「反戦」などに目覚めない限り、「政策とかはよくわかんないけど、ふわっと維新を支持してそう」な気がしてならないと言う。

 

維新の支持者は正社員も非正規も関係なく、ロスジェネのみならず、ゆとり世代・さとり世代・ミレニアル世代・Z世代など、共通して背景にあるのは「経営者マインド」だというのだ。末端の労働者なのに、発想は経営者。「時給を1500円にしろ」なんてデモを見ると、「バイトの時給なんか上げたら企業が潰れる」「バイトがその額に見合った働きなどしない」などと口にする。

 

なぜそのようなことになるかと言えば、「自分がずっと労働者でい続けると思ってる人」=「上昇志向がないダメ人間」という価値観の社会で育ってきたからなのだそうだ。ロスジェネとそれより若い世代にとって、労働組合や労働運動なんかよりも、「いつか一発逆転すること」の方がずっとずっとリアリティがあり、「善きこと」とされている。

 

1975年生まれの雨宮さんは、「やりたいこと」を見つけ、夢を追い、それを叶えることが最も善なる生き方であると刷り込まれてきた。義務教育を終えるころには「とにかく夢を持ち、それを叶えろ」という呪いに縛られ、「夢を叶えた成功者が一番偉い」という価値観にどっぷり浸かっていた。

 

そのような人間は決して権力批判などしなくなると言うのだ。なぜなら、「成功しているように見える人」を批判するのは醜い嫉妬でしかなく、そんなことよりも彼ら彼女らを「目標」とする方が前向きでスマートとされているからだ。

 

そして、「夢を叶える」ことが善とされる社会では、「夢追いフリーター」的な生き方も許容され(ロスジェネはそのせいで就職氷河期による貧困や不安定雇用問題の発見が遅れたと言う)、雨宮さんも19歳から24歳まで「表現系」のことで食べていくことを目指す夢追いフリーターの一人だった。

 

そんな当時の自分にとって、「まだ夢が叶っていない」貧しい時期は「仮の姿」。これが過ぎたら忘れたい黒歴史だったからこそ、バイト先でひどい目に遭っても当事者意識は皆無だった。どうせこんなことすぐやめると思っていたからと言う。

 

また、この国に住む人々は政治にずっとDVを受けているような状態で、そんなことが長く続くと、優しいふりをした人に裏切られるより、最初からひどいとわかっている人の方がまだマシだという防衛本能が働いてしまうとも言っている。そして維新は、「どうせ世の中も人間もロクなもんじゃない」ということを体現していて、そこが「現実がわかっているリアリスト」と、ある種の人々には見えてしまう。だからこそ、個別議員の犯罪歴などがこれほど暴かれてもほぼノーダメージという状態に繋がっているのだろうと雨宮さんは書いている。

 

結局、今の日本は理想を語る人が嘘つきの詐欺師にしか見えず、意地悪そうな人が「現実をわかっているリアリスト」と支持を集める・・・とこのような内容に、「とてもよくわかる!」と怒涛の共感の声が寄せられたのだそうだ(私もとてもよくわかった)。

 

 

維新を支持するロスジェネに、「現実を見ろ!」などと説教するのが「やっちゃいけないことナンバーワン」で、このあたりも気をつけてと言われると、さて、どういたしましょう?

 

 

ソネングラスの中の海