あとは野となれ山となれ

たいせつなことは目には見えないんだよ・・・

学習納め

本年最後の日本語学習日。都合でスタッフが2人休みだったのだが、反対に学習者は出席率が良かった。その上新しい学習者が2人みえ、さらに途中から見学したいという方が1人いらして大賑わいだった。

 

新しい方は、事前に国際交流協会から連絡をもらっていた、来日7か月のほとんど日本語が分からないという女性だったのだけれど、その人がさらに日本に来たばかり(来日たった2週間!)の友人を連れていらした。

 

たまたま学習者の中にその2人と同じ国の女性が1人いるので紹介すると、お互いに嬉しそうに挨拶していた。これから日本語を覚え日本の暮らしに馴染んでいく中で、私たちの教室が少しでもお役に立てるといいなと思う。

 

以前ゆず狩りに招待してくれたスタッフが今年も声をかけてくれて、今度の日曜日に希望者が集まってその人の庭(というかちょっとした林)に行くが、日本語の学習は今日が年内最後で、「良いお年を」という挨拶をして帰っていく学習者もいた。来年あたり、そろそろポットラックパーティーを再開するのもいいかも知れない。

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以前のポットラックパーティーの様子:

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さて、このところ比較的暖かい日が続いているが、本格的に寒くなったら皆さんは何枚服をお召しになるのだろう。私はだいたい2枚ということが多い。ヒートテックのような機能性インナー(首の温かいタートルネックが多い)に、ニットのチュニックやワンピースという組み合わせだ。

 

機能性の高い衣料品が増えたのと暖房とでこんなことになっているが、子供の頃を思い出すと、たいてい冬は4枚とか5枚も服を着ていた。下着はあまり保温性の高くない綿だし部屋全体を温める暖房ではないから、服を何枚も重ねて着たのだ。中学生になったころには、化繊のモコモコした温かな下着も出てきたように思う。

 

着るほうはまだいいけれど、その何枚も重ねて着た服を、電気洗濯機のない時代に母が家族6人分を洗濯してくれていたのだと思うと、改めて頭が下がる。もちろん我が家の母だけでなく、世間の母親たちはほとんどそうしていたわけだ。

 

2本のゴムのローラーの間に衣類を挟んで、ハンドルをグルグル回すことでその間に衣類を通して絞る初期の洗濯機の発売が昭和29年だそうだが、まだまだ庶民の家庭に普及するのはしばらく先だ。

 

庭先にしゃがみこんで、冬でも水を張ったたらいでごしごしと洗濯をしていた母を覚えている。手で絞るだけの洗濯物は、干すのも一苦労だ。ご飯を炊くにも自動で炊ける炊飯器はなく・・・、当たり前にみんなしていたこととはいえ、いまの怠惰な自分には到底できそうもなく、政治も世界の平和も大変な状況で毎日つらいとは言っても、この時代に生まれた恩恵を感じないわけにはいかない。

 

 

私が小さかったころ母はまだ和服だったし、掃除のときにはこんな姉さんかぶりもした。洗濯はまさにこんな感じだった。(人生旅人さんのサイトよりお借りしました)