あとは野となれ山となれ

たいせつなことは目には見えないんだよ・・・

恥ずかしうてやがて痛みぬ

日本語教室からの帰り道。もうすぐ我が家という所で少し交通量の多い通りを渡る。ちょっと行き過ぎれば押しボタン式信号のある横断歩道があるのだけれど、自分が渡り終わった後もしばらく赤信号のままで、ずらっと車が並んでいるそのわきの歩道を歩くのが私は苦手である。

 

少々遠回りになることは、5000歩を目標にわざわざ歩くことを思えばなんでもないのだけれど、どうも自分一人のため(誰か他の人がいれば気が楽なのだが)に多くの車を止めるのがはばかられて、車の行き来を見定めて信号のない所で渡ってしまおうとする。

 

ちょうど車も途切れたようだったので、この間にさっさと道路を渡ろうとしたのだが、目の端でとらえていた目測が違ったらしく、足が縁石にひっかかって転んでしまった。

 

ただもう恥ずかしく、慌てて立ち上がって何事もなかった顔をして、スタスタと押しボタンの信号の所に向かって歩き出した。

 

そうして帰宅して、コートを脱いだり洗面所でうがい手洗いなどをしたのだけれど、なんだかパンツが足にまとわりついている感じがする。それで左のパンツをまくり上げてみると、それほどひどくはないものの、膝小僧とそのちょっと下の所から血が出ていた。

 

絆創膏を貼って昼食の支度にかかったけれど、おかしなもので、人は血を見ると痛さを覚えるものらしい。転んだあと、なんの痛みもかんじずに家まで歩いてきたし、家に着いてからも傷に気付くまでは普通にしていたのだけれど・・・。

 

しかし、大した怪我ではなかったから良いが、もしもっと激しく転んでいたら・・・、そして運悪くそこに左端に寄り気味に走る車が来ていたら・・・。車の方にも本当に申し訳ないことになる。

 

やはり、車を止めてしまうことなど心配していないで、自分の安全だけを考える年齢になったということだなと痛感した。年齢を重ねることの難しさは、精神と肉体のギャップにあると常々思っているが、今日の失敗もこれが原因だと思う。

 

もうどうしたって周囲に迷惑をかけざるをえない高齢者になったのだから、「車の人に配慮しています」などと格好つけていてはいけませんということだ。これからは道路状況に関わらず、押しボタンの信号を利用すると決心したできごとだった。

 

 

エッグタルトとフォカッチャ