先日読んだ『始まりの木』があまりに素晴らしかったので、同じ著者の本をもうしばらく読みたいと思った。映像化もされた『神様のカルテ』が代表作なのだろうけれど、あえてそれをはずして『本を守ろうとする猫の話』を選んだ。もちろん、marcoさん(id:garadanikki)と同じく、本と猫ときたらもう選ぶしかないでしょという感じだ。
つるひめさん(id:tsuruhime-beat)のブログから始まって、そのブログ仲間何人かの間でちょっと夏川さんブームのようになり、たぶんmarcoさんも今この作品を読んでいらっしゃることと思うので、あまり内容には触れないでおこうと思うが、きっと大いに満足の読書となることと思う。
幼くして両親が離婚、その後母親が死んだため祖父に引き取られて育った高校生、夏木林太郎。祖父は古書店を営んでおり、人付き合いの苦手な林太郎は、その古書店の膨大な書物を友に育つ。その祖父までも突然亡くなってしまい、一人取り残された林太郎の前にある日人の言葉を話すトラ猫が現れる。そうして始まる林太郎の不思議な冒険譚。
『始まりの木』もそうだったが、本作も琴線に触れる言葉に満ちている。そして著者自身による「解説にかえて―猫がおしえてくれたこと―」で
書かれた時代背景が異なれば異なるほど、読み解く行為には苦労が伴う。ゆえに、ただでさえ時間に追われている現代社会では、敢えて難解な過去の傑作を手に取る読者の数は確実に減少しつつある。けれども読みやすい本ばかり読んでいては見える景色は知れている。読みよい本をたくさん読んでいれば、いずれ自然に傑作が読めるようになるわけでもない。高尾山や六甲山をいくら登っても、槍ヶ岳の絶景にはたどりつけない。無論高尾山に魅力がないわけではないし、六甲は大阪生まれの私にとっては真実親しみのある山である。しかし槍ヶ岳の頂上に登らなければ、どうしても目にすることのできない景色がある。・・・中略・・・特に若い世代の人々に、覚悟と忍耐と努力をリュックに詰め込んで、読書の三千メートル峰に挑んでほしいと心から願っている。
と書いているように、放っておいたら忘れられていってしまいそうな古今の名著に、なんとか触れてもらいたいという、著者の強い願いが全編に込められている。
さまざまな作家や作品が登場するが、名前を知っているだけで、読んでいるものは本当に少ない。まがりなりにも読書が好きだなどと思って来たのが恥ずかしくなる。それなのに近頃はすっかり読書のパワーも粘りも減退してしまい、もう三千メートル峰に挑む力はあやしい。もう一度若い日に帰ることができたなら・・・と思うが、無為なことを願うより、これからの日々に少しでもいいから挑戦を課していきたい。
この猫はきっとあの猫で、この部分はあの作品へのオマージュで・・・という想像をかき立てる、本の好きな人ならきっと楽しさも倍増しそうな作品であることは保証する。もちろん、そうした過去の作品を知らなくても、特別に猫が好きでなくても、「猫が人間の言葉を話すわけがないじゃないか!」なんてヤボを言わない人なら、十分楽しめる。