あとは野となれ山となれ

たいせつなことは目には見えないんだよ・・・

『日曜劇場』に見るテレビ界の変化

年末の再放送時に録画しておいた、TBS日曜劇場の『とんび』を見た。日曜劇場の作品の中でもとりわけ『とんび』は良作だとは思うけれど、現在の日曜劇場が先日最終回を迎えたばかりだったので、その質の余りの違いに愕然としてしまった。

 

ジャンルの違うサスペンス物とか恋愛物とか言えば評価もまた違ってくるが、たまたま今回はどちらも親子の愛を描いた作品だ。『とんび』はストレートで、いわゆる「ベタな」物語かも知れないけれど私は非常に心を打たれ、終始引き込まれ、それほど変わらない放送時間だと思うが、『とんび』を見終わった時は本当に佐藤健くん演じる作中の旭(あきら)が、赤ちゃんから父親になるまでの壮大な時間を共に過ごしたようにさえ感じた。

 

今季の『さよなら・・・』の方も結構素晴らしい俳優陣が出演していたのに、全体として非常に安っぽい感じになってしまったのはなぜだろう。お金も勢いもなくなったテレビ局から、いろいろ難しい注文がついて、脚本家が思うように書けないのだろうか。それとも単に力のある脚本家がいなくなってしまったのだろうか。

 

本作だけでなく、このところコミック原作などを除くと、脚本自体が面白いと思えるものが少ない気がする(最近、脚本家が話題になることが多く、そうした記事の中に報酬が驚くほど少ないというものがあった。そんな待遇面の劣悪さも関係しているのだろうか)。

 

それにしても『とんび』を見て、改めて内野聖陽さんのすごさを感じさせられた。今も時々『きのう何食べた?』を見ているので、「気配りができて乙女なケンジ」と『とんび』の「不器用で男くさいヤスさん」の落差に感嘆する。

 

柔らかな低音のケンジに対し、だみ声とも言えるヤスさん。左手でご飯を食べているヤスさんを見て、あら内野さんは右利きのはず・・・と思った。左利きという設定でもあってやむなくそうしているのかと思ったら、脚本を読んだ内野さんが、「ヤスは左利きの男のような気がする」ということで、自ら左利きの設定にして演じたのだそうだ。自分からわざわざハードルを上げてしまうなんて・・・。

 

左利きなのに紫式部を演じるために右手で毛筆を使う吉高さんもすごいと思うが、利き手の右手でさえ、なんと不器用なのだろうと日々嘆かわしく思うことの多い私は、ただただ役者さんたちの役作りへの情熱に感心してしまう。

 

冬ドラマがぼつぼつ終了し、春ドラマのスタートが待たれるが、さて、新しいドラマに引き込まれるような作品はあるだろうか。

 

 

旭と結婚する年上の女性を吹石一恵さんが演じていて、主題歌を福山雅治さんが歌っているのもなんか運命を感じてしまった。いや、公表こそしていなくてももう二人は付き合っていたのだろうけれど。

 

こちらはNHK版。こちらも素晴らしかった。

 

これは映画版(未見)。