あとは野となれ山となれ

たいせつなものは目に見えないんだよ

こういうのが苦手

先週の土曜日、地域の行事で講演会を聞きに行ったとき、サブの講演で特殊詐欺防止の話があったのだけれど、お土産としてこんなものが配られた。

 

 

パトカーの模様のシャープペンシル・マスキングテープ・カットバンとクリップが小袋の中にセットになっている。私はどうもこういうものが苦手だ。シャープペンシルにしろマスキングテープにしろ、いまどき100円ショップでも結構センスの良いものを売っている。

 

小さな子供でもいれば喜ぶかもしれないが、我が家ではこういうものをもらっても家の中の目障りなものが増えるだけだ。かといって、やはりゴミとして捨ててしまうわけにはいかない。小さいお孫さんでもいる人を探して、もらっていただく算段をする。

 

これらの小物の費用も、警察の予算に組まれているのだろう。全国でどれくらいの額になるのか。もっと予算を必要としている部署があるのではないだろうか。長年こうしたグッズを作って稼いできている企業もあるのだろう。これをやめたら倒産するのだろうか。

 

以前、運転免許証の書き換えに行っていた頃、帰りに渡される何冊もの冊子が気になって仕方なかった。もらったあの本を1ページでも読む人がいるだろうか、無駄なことだと思った。いつの間にかあの習慣はなくなったようだけれど。

 

動員をかけなければ人が集まらないようなイベントをするから、来てもらった人にはお土産がないと・・・ということになって、もらってもあまり嬉しくもないようなものが、あちこちの家庭に氾濫する。

 

一昨日の日本語教室で、「・・・ことにしている」という文の例として、私は「なるべくペットボトル飲料は買わないことにしています」と話した。それなのに、コロナが5類に移行になって会議等が通常に戻ってくると、とたんにそうした場で配られるペットボトルのお茶が、結構な勢いでたまり始めたことも話した。

 

だからと言って煎茶を湯呑で供すのは担当者は面倒だろうが、各自がマイボトルで好きな飲み物を用意すれば済むことだ。経費も掛からず、ゴミも発生しない。すべてこの式でやっていくと日本の経済が幾分縮小するだろうが、もともと上げ底の供給が多すぎるのだし、浮いた予算をもっと真に困っている人のために使えないものだろうか。

 

もったいないと訴えるより、背に腹は代えられなかったか、長く続いた不況の中で民間の粗品文化はだいぶ滅び去ったようだ。それに比べると官庁は、何をしても組織や担当者の腹が痛むわけではないので、こうしたことはすたれるどころか、むしろ蜜を求めてますます群がる者たちが多いのかも知れない。