恒例の、息子たちが帰った後の料理や食材の在庫一斉大処分。ひょっとすると、子供たちがいて外食したり宅配を使ったりで美味しいものをたくさん食べている間よりも、この在庫処分になってからの方が太ってしまったりする。みんながいる間は、動いたりしゃべったりでカロリーを消費するのか案外体重は増えないのだけれど、気楽な一人暮らしに戻ってからの在庫処分期間は要注意だ。
いつもは彼らが来てからはなるべく台所に立たなくて済むようにしているが、今回は長男のパートナーがゴーヤーやトマト・みょうが・なすなど家庭菜園の収穫を色々持って来てくれた(事前に受け入れ可能かどうかの打診あり)ので、それらを使っての料理も追加した。ネットで検索して挑戦したゴーヤーやみょうがの新しい献立も結構好評で、料理に自信のない私としてはほっとした。
みょうがは普段スーパーで買っていると2個入りのパックでもいいお値段(おまけにあまり新鮮でもない)なので、薬味として使うことしかないが、今回はビニル袋いっぱいもらったので、メインの食材として使うことができた。
青森の婚家にいた時は、庭に自生しているみょうがを姑がボウル一杯とってきてくれるのでどっさり食卓にのせていたが、子供だった息子たちにとってみょうがは苦手な食べ物だった。大人になった今はみょうがの良さが分かるようになり、あれは結構贅沢なことだったんだねと思い出話。
ところで昨日次男と行ったうなぎ屋さんで女将さんと話した時、豊橋の街なかの活気が低迷している話になった。女将さんはその低迷のきっかけが、市民病院の移転だと言う。病院があった時は相当な数の見舞客が駅から病院までの街なかを通り、見舞いの花や果物など買い物をしたと。
だからアリーナが公園にできれば、そのアリーナの何千人という観客が街なかを歩き、食べたり買い物したり活気が生まれる。早くアリーナができればいいと思うのに、反対する人たちがたくさんいるんですよねと仰る。あの、私はその「反対している人」ですが・・・と思ったが、ここは黙って聞いておいた。
そもそも市民病院が移転したのは、移転先こそ当時の市長(のちに収賄で在職中に逮捕された)が親族の便宜のために今の場所を選んだかもしれないが、すでに車社会になり駐車場の不足など利用者の不満は高まっていた(その当時私は青森にいたが)からだと思う。街なかを病院まで歩く人の数はかなり減少もしていたはずだ。
市民あるいは商店経営者たちが本気で街の活性化のために病院を残そうと思うのなら、その頃にもっと運動するべきだった。まあ、行政はあまり真剣に市民の声を聞くことなく進めてしまったかもしれないが、商工会議所とかある程度力のある団体などが本気になれば違っていたかも知れない。
新アリーナは十分な駐車場もなく確かに街なかを歩いてもらう計算にはなっているが、車を使う人たちは何としても車で行くだろうし、想定しているほど街なかを歩く人は増えないだろうと私は思っている。また増えたとしても、スポーツの試合にしろエンタメの催しにしろ年間の何分の一(もあるかどうか)かであって、それだけをあてにしても無理だろう。
ロッシェル・カップさんは講演の時、「にぎわい創出」という言葉が嫌いだと仰って、なるほどにぎわいとは無理やり作り出すものではないなと思った。住民が気持ちよく暮らせ、必要に応じて物が供給され商いが生まれるのが本来の商業の姿だろう。需要以上にどんどん供給し、宣伝によって購買欲を起こさせ過剰に発展させるのが資本主義なのだろうが、それは一部の誰かの利益にはなるのだろうが、そこに暮らす人の本当の幸せかどうかは分からない。
必要で十分な生活。 (エコハウスさんのサイトより)