あとは野となれ山となれ

たいせつなものは目に見えないんだよ

不思議な連鎖

先日使用頻度の高い調理道具ということでタッパーウェア社のレンジ容器を紹介したところ、その数日後に同社が破産法適用申請をしたというニュースが報じられ驚いた。まあかなり性能の似通った製品が廉価で購入できるようになった昨今、相変わらずなかなかのお値段の同社製品が売れにくくなるのは当然と言えば当然か。

 

私がタッパーウェアを知ったのは昭和30年代の半ばころ、私は小学校の低学年だったと思う。当時3つ上の次兄が白血病名古屋大学病院に入院していた。今も白血病は難しい病気だが、60年以上昔の当時は今よりはるかに得体の知れない怖ろしい病気だった。

 

次兄のこととドナー登録について書いたエントリー:

yonnbaba.hatenablog.com

 

たぶん近所の人とか親戚とかの人が教えてくれたのだろうが、モツ料理が血を増やすというので、我が家では食していなかったモツを母は味噌で煮込んで、時々名古屋の病院まで届けていた。新しい食材を取り入れるのは苦手だった母も、病気を克服させたい一心だったのだろう。

 

そんな時だったので、傾けても逆さにしても汁がこぼれないというタッパーウェアの容器を(おそらくこれも周辺の人に教えられたのだろう)、当時の我が家にはハイカラ過ぎ躊躇するような値段だっただろうそれを、締まり屋の母が買ったのだ。次兄に届けるモツ煮を入れるための容器一つを。プシュッと空気を抜くと、みごとに逆さにしても汁が漏れない容器に驚いたのを覚えている。

 

次にタッパーウェアに出合ったのは神奈川の新婚時代だ。近所の仲の良かった奥さん(今でいう「ママ友」)がこの製品の販売員になり、ホームパーティーをするから来てと誘ってきた。色々な料理が手軽にできると実演もされて、かなりたくさんの製品を買った。その時の一部は、その後に買ったものと一緒に今も我が家の台所に生き残っている。

 

今はプラスチックをなるべく使いたくないと思っているので、なぜ20代の自分があんなに買い込むほどこの製品に引かれたのか分からないが、半世紀ほども昔のことゆえ、まだまだプラスチックというものに夢が持てていた時代だったのだろう。

 

 

こんな風に、洪水のようにプラスチック製品が台所に入ってきた時代があった。(RoomClipさんのサイトより)