あとは野となれ山となれ

たいせつなことは目には見えないんだよ・・・

今日はフラワーデモ!

今日は11日、全国的にフラワーデモの行われる日だ。豊橋でも開催する。平日なので夕方6時半から駅前でサイレントスタンディングを行う。

 

BIGBOSS新庄さんを見習って「ド派手」にいきたいところだけれど、モノを増やしたくない、とりわけ衣類は最後に残ったまだまだ整理を進めたい分野でもあるため、このためだけに派手な衣装を準備することにも抵抗がある。

 

したがって、手持ちの中から、フラワーデモにふさわしく、少しでも道行く人にアピールできる服装を考えることにする。

 

木曜日は午前中に日本語教室があるため、帰宅して昼食をとりながら、早速昨夜録画されているはずの『恋です!ヤンキーくんと白杖ガール』を観る。今期のドラマで次の放送が待ち遠しいと思えるのはこの作品くらいだ。

 

『逃げ恥』とか『プロミス・シンデレラ』とか、この年齢になってこうしたまったく若い人を中心にした恋愛ドラマに夢中になれるとは意外なことだった。実際に自分が高齢者になってみて、肉体面の経年変化の著しさにも驚くが、精神面の変わらなさにも驚く。

 

自分が若かったころ、お年寄りを見ると、なんだかその人たちは昔からお年寄りだったような気がして、心の中までおじいちゃん、おばあちゃんなんだろうと勝手に考えていたことを申し訳ないように思う。

 

おばあさんになっても、心は乙女。鏡を見ればそこには厳しい現実があり、そのギャップに苦しめられるのが年をとるということなのだと、日々思い知る。

 

あっ、だから政界のおじいさまがたは、いつまでも第一線にしがみつきたがるのか?いやいや、頭の中には2、30代の若者がいるとしても、しっかり鏡の中の自分を認識し、適当な時期に次世代に席を譲って脇に回るほうが格好いいと私は思いますよ。

 

 

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この内閣の平均年齢は61.7歳だが、この背後にさらに高齢の妖怪や魑魅魍魎が蠢いている・・・。

 

 

外からの人が拾い上げてくれる日本の宝石

今年の2月にBSプレミアムで放送された番組らしいが、このほどEテレで放送されたものを見た。『カールさんとティーナさんの古民家村だより』。

 

番組の紹介ページから

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新潟の限界集落を、ドイツ人建築デザイナーのカールさんがよみがえらせた。朽ちかけた空き家を次々に再生。美しい古民家が多くの人をひきつけ、子育て世帯も増えてきた。和洋折衷の心地よいインテリア、湧水を引いた庭でのガーデニング、育てた野菜を使って妻ティーナさんが作るとびきりおしゃれな料理。移住してきた人々も、集落の人たちとともに、豊かな自然の中でそれぞれの暮らしを楽しむ。「奇跡の集落」のひと夏を描く。

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カールさんの父親は、カールさんが生まれる前に第二次世界大戦で亡くなってしまったそうだが、日本文化の愛好家で、遺品の中にブルーノ・タウトの『日本の家屋と生活』という本や浮世絵・根付などがあり日本への興味を募らせたのだそうだ。

 

日本への興味はやがて空手につながり、そのために訪れた日本で古民家を知り、その美しさにうたれ、建築の仕事につながっていく。日本とドイツを行ったり来たりする生活ののち、リタイア後に暮らす地として日本を選び、独断で新潟県十日町限界集落となっていた竹所の土地を買ってしまう。

 

妻のティーナさんは日本イコール東京と思っているから激怒したそうだが、とにかく一度見てほしいと言われてやって来たところ、6月下旬の雨の竹所集落の風景に「今までで一番素晴らしい場所だった」と感激してしまう。

 

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カールさんとティーナさんの暮らす、茅葺屋根とピンクの壁の双鶴庵。築120年以上の古民家をいったん解体後に組み直したもの。日本式の庭園も、石灯篭や岩をカールさんが自分で運んで造ったのだそうだ。

 

 

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ティーナさんが魅せられた竹所の風景。

 

カールさんが24歳で空手のために初めて日本に来た頃は、まだたくさん古民家も残っていたが、その後どんどん壊されてしまった。日本人はなぜ手の中の宝石を捨てて、砂利みたいなもの(20年とか30年で使い捨てにする現代の建築)を拾うのかと残念でならなかった。

 

少しでも古民家を残したくて、カールさんは竹所に残るものを自費で再生していく。やがてその古くてモダンな家に住みたくて、都会からのリタイア組や子育て中の若い人たちも移り住んでくるようになり、たった9世帯の限界集落だった村に、今は子供の声が響く。

 

平家の落人が隠れ住んだと言われる、陸の孤島のように不便な四国の山奥の美しさを見出し、そこの古民家を再生して住み始め、その後日本のあちこちで古民家の再生で街の活性化に貢献しているのも、アメリカ人のアレックス・カーさんだ。

 

陶芸や漆器などに魅せられて、その技術をつないでいる外国人もいる。外から来た方たちが、日本の技術や繊細な美に気付いてくれるというのはありがたいことだ。日本人はかえって日本古来の良いものに触れる機会もないまま、こうした素晴らしい働き方もあることが分からないのかもしれない。国にとっても、若者にとっても、もったいないことだと思う。

 

 

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居間でくつろぐご夫妻。冬は積雪3メートルという所だけに、断熱材をしっかり入れて、床暖房、窓はペアガラスとのこと。吹き抜けの大きな空間でも、冬も快適に過ごせるそうだ。

(画像は上の2枚はカールさんの会社のサイトから、3枚目は東洋経済ONLINEさんのサイトからお借りしました) 

 

 

 

あっぱれな新庄新監督

なんだか大方のものが金まみれのような気がして、どうもスポーツには興味が持てなくなってしまったのだけれど、今朝テレビをつけると、新庄日ハム新監督が映っていた。

 

真っ赤なトレーニングウエアにサングラス姿で、白い車の屋根の上に立って選手を指導している。午後には「お色直し」して、全身黒づくめで登場していた。選手時代に負けない派手なパフォーマンスぶりだ。

 

さすが新庄さんだと感心してしまった。これから新監督行くところ、マスコミがぞろぞろと付いて歩くことになりそうだ。それを追っかけるファンも集まることだろう。マスコミやファンが集まれば、いやでも選手の頑張る気持ちも高まろうというもの。

 

この新庄監督のエンタメ性やサービス精神、強力な発信力を、立憲民主党共産党などの野党共闘の方々には見習ってもらいたいものだ。人は正しさやイデオロギーだけではついては来ない。野党を応援する市民の活動についても言えると思う。

 

野党はなかなかマスコミに報じてもらえないと嘆くのではなく、どうしたら扱いたくなるかという工夫や戦略が必要だ。真面目で誠実であることは美徳であるけれど、選挙は勝たなければならないし、選挙に勝たない限り政権は取れず、どんな良い政策も実現は難しい。

 

衆議院選挙のあと、期待した投票率の向上もあまり見られず、自民党へのお灸もすえられず、もろもろ反省したり今後を考えたりするほどに気持ちは落ち込んでいたが、この新庄さんの明るい笑顔を見て、ハッとした。

 

そうだまずは明るく、自分自身も楽しむ気持ちで活動していこう。民主主義がちゃんと機能するのにはまだまだ相当長い年月がかかる。自分が生きているうちに結果が見られることなどないのかもしれない。そんな気の遠くなるようなことをするのだから、明るく楽しく取り組まなくては!

 

 

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日刊スポーツさんの記事より

市民館は文化の秋

昨日、読み終わった本を返し、また次の本を借りるべく市民館に行くと、市民館作品展のため4時で閉館とのことだった。その時4時15分前くらい。本を借りるのは出直すとして、作品展を少しだけ見ていくことにした。

 

地域の保育園から小中学生そして大人まで、幅広い年齢層の人たちの作品が並ぶ。写真・絵画あり書道あり、裁縫や手芸もある。

 

その中に盆栽も何点か並んでいて、先日ブログの写真で紹介したようなものは、こうした市民館利用者の方の作品なのだろうと思った。

 

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展示されていた紅葉のみごとな盆栽。

 

今朝のテレビ番組で、盆栽づくりが脳のトレーニングに効果的だと言っていた。植え込む植物と鉢の取り合わせを考えたり、仕上がりの形をイメージしながら無駄な枝を切ったり、右脳も左脳も同時に使うと言う。しかも土をいじるのも脳の活性化にとても効果があるのだそうだ。

 

それでなくてもこの何年か、逆輸入のような形で盆栽がブームのようなのに、このような番組が放送されたら、明日から各地の趣味の教室などの盆栽の講座は、生徒さんが殺到するかもしれない。園芸店やホームセンターの盆栽用の鉢や植物、苔なども売り上げが上がることだろう。

 

この他、写真のマニュアル撮影が体にも脳にも良い刺激になると紹介されていたのは発見だった。だからと言って、始めようという気にはならないけれど。

 

 

今日、初めて炊飯器を使わないでご飯を炊いてみた。こんど炊飯器が壊れたら、もう新しいのを買わないで、鍋で炊飯しようと考えているので、ちょっと予行演習のつもりでやってみた。土鍋などを使ってご飯を炊いている方も少なくない昨今、今ごろこんな初体験をしていてお恥ずかしい。

 

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私はクリステルの鍋で。とても美味しく炊けた。炊飯器よりだんぜん美味しい。

 

届けられた1円玉

玄関のチャイムが鳴ったので出てみると、3階に住む方とその小学生のお嬢さんが立っていた。お嬢さんが1階の出口のところで1円玉を拾ったそうで、どうしましょうと仰る。はて・・・。

 

教育の側面から考えれば、お金を拾ったら交番に届けるということだろうが、まさか交番へとも言えないし、言ったところでそのお母さんも困惑するだけだろう。

 

それでも、お子さんが目の前にいるので、「交番に届けるところでしょうが、書類の手続きが大変になってしまうでしょう。自治会の共益費の会計を私がしているので、それに繰り入れることにしましょう。自治会の方にはそのように話を通しておきます」と言って、私がお預かりした。

 

こんな方法しか思いつかなかったのだけれど、これで良かったのだろうか。

 

それにしても、「そんなの面倒だから拾っちゃダメでしょ!」なんて言うお母さんではなくて良かったと思う。

 

 

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フェイクの多肉植物

有𠮷玉青著『車掌さんの恋』より「きせる姫」

電車をテーマにした5つの短編からなる『車掌さんの恋』。発行は2004年と、21世紀であることが意外な気がする。ピンクのはんなりした雰囲気の装丁も、のどかな感じのするタイトルも、もっと古い時代を思わせ、私など、昔バスに乗ると小さな帽子をちょっとお洒落に斜めに頭にのせて、おなかの所に黒い大きながま口のようなバッグを下げ、バスがバックするときには機敏に降りて、後ろからピーッ、ピーッと笛を吹いて誘導する女性の車掌さんをイメージしていた。

 

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乗務員として、通学者として、旅行者として、通勤者として、それぞれ電車と関わる人の小さな物語が紡がれる。何気ないけれど、琴線に触れる話が揃っている。

 

なかでも、女子高校生を主人公にした『きせる姫』が心に響いた。

 

女子高の2年生である倉島湊は、たいていクラスで一番の成績なのだが、この日、いつも通りテストを成績順に返す教師が、湊の名を呼ぶことはなかなかなく、なんと後半の平均点以下で順不同の生徒の中に入っていた。

 

湊の家では、真面目だった父親が突然失踪し、何日かのちに、一緒に暮らしたい女性ができたので許してほしいという手紙と離婚届とが、母親の元に届いた。やがて母親も家を出て行ってしまい、以来湊は母方の祖母と暮らしている。テストの直前にそんなことがあって、今回、湊は勉強が手につかなかったのだ。

 

学校のあと予備校に行くある日、回数券を切らしていたことに気付いた湊は、定期入れの中に入っていた入鋏済みの券を発見し、いたずら心からそれを使ってしまう。難なく改札を通過でき、その後湊は髪にパーマをかけたり、一度使った回数券をとっておいてもう一度使う、さらに予備校までの正規の運賃ではなく最短距離の駅までの券にしてキセルの行為をエスカレートさせたりするようになる。

 

湊には同じ中学からその女子高に入った尚子という友人がいる。バスケットボール部のエースである尚子は、テストはいつも平均点以下の順不同組だが、校則も適度に外しながら自由に生きている気がして湊は少し羨ましい。

 

ある日駅員にキセルを発見され、駅員室でビックリするような罰金を告げられる。お金をとってきますと家に帰るがとても祖母には言えず、尚子に相談すると、一緒に行くからとにかくもう一度謝ってみようと言い、尚子は駅員に湊が優等生でキセルなんかをする人間ではない、ほんの出来心だったのだから許してほしいと謝ってくれる。

 

結局一回分の往復の運賃で放免され、帰りの電車の中で、「湊は勉強もできて素直でずるくなれない本物の優等生で素敵なんだから、キセルなんてどこかのおじさんのようなせこいことしちゃだめだよ」と尚子に言われる。

 

ただ頑張って勉強するから成績がいいだけで頭がいいわけじゃないし、尚子のように自由に生きる勇気もない自分を情けなく思っていた湊は、尚子に自分を肯定されて今回のことを心から反省し、「ごめんね、ごめんね」と尚子に謝る・・・。

 

親の期待に応えずにいられない湊という少女。それが突然父親も母親も娘より自分の人生を選んでいなくなってしまう。その所在なさがパーマをかけたりキセル乗車をしたりというささやかな逸脱を引き起こす。世の中にはここから本当の転落に至ってしまう子供もいることだろう。

 

湊の描き方も良いが、尚子という自然体の少女が魅力的。そうして、この二人のさらりとした関係が、青春という苦いけれども何とも言えない貴重な時代の味わいをうまく表現してくれていて心に残る。

 

ところで、改札で鋏を入れるということもなく、ピッとかざすばかりの現代では、キセルなどという行為も言葉も、もうないのだろうか。

昼下がりの池畔の読書

あまりにも美しい天気に、部屋の中ばかりで過ごしてはもったいないような気持になって、昼食後、近くのなまず池公園に本を持って出かけた。

 

いい塩梅に木陰になっているベンチで本を開く。憂き世を忘れるよう、ちくま文学の森の第二巻『心洗われる話』を選んできた。

 

読み始めてしばらくすると、公園内を歩いてきた男性が私の座っているベンチに腰を下ろし、話しかけてきた。どんな本を読んでいるかに始まって、その時私が読んでいたのは有島武郎の作品だったのだが、俳優の森雅之が有島の息子だったことや、目次の中にオー・ヘンリーの『最後の一葉』を見つけてその話をしたり、トルストイの『戦争と平和』は読んだかなど、次から次へと話す。

 

私は簡単に短い返事をし続けたが、男性は楽しそうにしばらく話し込んでから立ち上がって去った。再び本を開いて読み始めていると、また戻ってきてベンチに座り、「奥さんは愛大のオープン・カレッジで教えていませんでしたか」と聞かれる。私の顔はありふれているのか、何処どこにいませんでしたかと言われることが多い。それにしても、オープン・カレッジで学ぼうかと思ったことはあるが、教えるなどとんでもないもいいところだ。

 

名前や自分の家の場所を告げ、ここにはよく来るのかと聞いて去って行った。

 

秋の日が早くも傾きかけ、お陰で本はあまり読めずに戻ってきた。

 

 

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映画『羅生門』の森雅之さん。知的で上品な素敵なおじ様だったという記憶がある。   (画像は京都文化博物館のサイトより)