あとは野となれ山となれ

たいせつなことは目には見えないんだよ・・・

タラタラ歩きじゃダメ

陽気の良い時くらいなるべく外を歩かなきゃと思い、3時過ぎから重い腰を上げてウオーキングに出る。高師緑地公園に行くと、先日は二分咲きくらいだった桜が、すでに葉桜に近くなっている。歩道には昨日の雨で散り敷いた花びら。

 

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2018年は、同じ3月末に満開。

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ランニングをしている若者、犬を散歩させている老人、子供を遊ばせている若いお母さん・・・。いろいろな人がいる。5年先も、10年先も、そして今日ベビーカーに乗っている赤ちゃんが親になった頃も、こんなのどかな桜の風景が見られるだろうか。なんだか怖ろしいスピードで、崩壊に向かっているような気のするこの国だけれど。

 

今日は午前に民生委員の定例会があり、わりとオーソドックスなスカートスタイルなうえに、足元がビビッドカラーでないのも手伝ってタラタラと歩いてしまっていた。筋トレにもなるという「速歩」は金属の股関節の入った私には無理だったが、短い時間なら大丈夫だろうと、最後の1000歩ほどは出来るだけ速く歩いた。

 

タラタラ歩いていた時は4500歩で消費カロリーは80キロカロリーくらいだったのが、最後の1000歩で60キロカロリーくらい増えていた。無理は出来ないけれど、やはりノロノロ歩いていてはだめだと痛感。

 

 

(ネット上のフリー素材をお借りしました)

 

身じたく完了

朝起きて、その日の服装を考える。夏と冬は前日に考えておくこともできるが、あいだの季節はその日起きて天候を感じてから決める。服装が決まると、それに合わせたアクセサリーが決まり、メイクの色味も決まる。

 

この何年かメイクは、今の自分にいちばんしっくりすると思う一種類になってしまい、服装のカラーによって変えることはなくなった。コロナ以降、ファンデーションもめったに使わなくなり、実に簡便になってしまった。

 

制服から解放されて自分の選択で身を整えるようになってから、ずっとこうしてきた。子育て中も、Uターンの伴侶に同行し舅姑と同居するようになっても(婚家の時代錯誤とも思える厳しい家風に一時期委縮した期間はあれど、徐々に自分の習慣を貫いた)。

 

これは出かける出かけないとか、人に会う会わないにかかわりなく、私にとって毎日当たり前にすること。服装を考えることも簡単なメイクも、自分が気持ちよく過ごすために大切なことだから。これができなくなったら、私の耄碌がだいぶ進んだということだろうが、その時にはきっと、その自覚はもうできないのだろう。

 

子供が生まれてからは、子供のその日の服装を考える楽しみも増えた。ソックスや靴までコーディネートするのがとても楽しかった。そのうえ子供は何を着せても可愛い。親バカかもしれないけれど・・・。

 

青森に転居してからは、36か月を過ぎて子供服の種類が減る(今はそうでもないかも知れないが)時期と、収入減や環境の変化も重なって、残念ながらあまり子供の服装に凝ってはいられなくなってしまった。

 

先日街で衝動買いしたビビッドカラーのソックス。ブルーグレーのワンピースに青いソックスを合わせてみたところ、ウオーキング時に元気が出てシャカシャカと歩けた。ネット上の青系の色名のサイトで見ると、「サイネリア」というのが一番近いかなと思うが、外に出て太陽の光が当たるといっそう明るくなり、足元を見ると楽しくなってしまう。ビビッドカラーの効果を実感した。

 

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若い頃よりも似合うものは少なくなってしまったけれど、そんな中でも、自分が気持ちよくなれるもの、元気になれるものを身につけて、なるべく明るく機嫌よく暮らしていきたい。

 

 

90代になっても可愛いワンピース姿のターシャ・テューダー (みけらんのベルエポックファッションと政治ネタさんのサイトよりお借りしました)

贅沢な装丁だったらしい『群青の湖(うみ)』芝木好子著

どうしたら、文章がここまであざやかに風景や色彩を写しとることできるのか。芝木好子の小説を読むと、描写力の力強さに、きめ細かさに、圧倒されてしまう」というsmokyさんの最後の文章に惹かれて、この作品を市民館(4月からは生涯学習センターと名称変更)にリクエストした。

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慣れ親しんだ東京を離れ、近江八幡の旧家の嫁となって家付き娘の気難しい姑篠にいびられ、頼みの夫潮(うしお)には、若い女の誘惑で背かれる。たまらず瑞子は幼い櫻子を連れて婚家を飛び出し、湖の北の端までさまよっていく。時代背景は昭和30年代の終わり頃なので仕方ないのかも知れないが、『ちいさいおうち』の時子やタキは、彼女よりも少し上の世代なのに強かったことを思うと、この瑞子の行動が少々歯がゆい。

 

しかし、死にきれず運命に助けられてからの瑞子はたくましい。染絵から染織に転向し、幼い櫻子を背中にくくりつけて機に向かい情熱を傾けていく。自然のものから染める色に夢中になり、苦い思い出の残る琵琶湖の妖しい色に導かれてのめり込んでいく。母の強い思いを理解するかのような櫻子のふるまいが、けなげでいとおしい。

 

強い女たちに比べ、男たちはいささか情けない。脚本家になる夢を抱いて上京しながら、挫折して古いしきたりの家に舞い戻り、あげく若い女の誘惑に落ちる瑞子の夫は最たる人物だ。舅泰造は瑞子に優しいが、妻の篠には頭が上がらない。

 

潮の兄で旧家を継ぐはずの長男玲は、結核で死の床にある。母の溺愛を受け気難しい病人だが、なぜか瑞子には冷たいながらも心を開いているらしく、この二人のやり取りは魅力的だ。そして彼の存在がその後瑞子の創作活動の源になっていく。

 

シングルマザーの瑞子の創作活動は、東京の叔母たまきや手伝いの鈴を始め周囲の多くの人たちに支えられている。そうした周辺事情の描写も、この作品の魅力の一つになっている。

 

私はこの著者の作品に触れるのは初めて・・・と思っていたのだが、読書記録を調べると、乙川優三郎さんが芝木さんの文章を絶賛されていたのを知って、令和2年に『隅田川暮色』を読んでいた。こちらも女性の職人がヒロインだけれど、ちょっと生き方が好みではなかったかブログには取り上げていなかった。

 

 

1990年出版の本作の単行本は、箱は志村ふくみさんの作品の淡い青のグラデーション、中は鮮やかな水浅黄(みずあさぎ)の布本という大変美しいものだったようだ。私は図書館本なので箱はなく、本の方も残念ながら浅黄色がすっかり褪せてしまっている。

 

 

 

 

この世をば・・・

何年も飲み続けている青汁が奏功したのか、花粉症はほとんど治ってしまったようにこのところ軽い・・・と思っていたのだが、今年のヒノキ花粉はひどいのか、ここ何日か結構鼻や目が気になって不愉快な日が続いている。

 

週間天気予報では雨模様だったと思うが、今日は気持ちの良い花見日和になった。花粉症だからといって部屋にこもっているのでは、もったいないような陽気に誘われ散歩に出る。

 

なまず池公園に行ってみると桜は満開。けれど公園の広場に4台の車がとまっている。公園内で車を見たことなどないので不思議に思いながら近づくと、一か所の入り口の車止め(コンクリート造りの重そうなもの)3個が引き抜かれて入口の脇に転がっている。そこから進入したらしい。 

 

東屋はもう何か月も使用禁止の黄と黒のテープが回されているのでさすがにそこを使ってはいないが、その前にタープを張って椅子をおき十数人の若者たちが飲食している。あの重そうな車止めを引き抜くというのにまず驚くが、広くもない公園内に平然と4台もの車を乗り入れて飲食・歓談しているのにも驚いてしまう。彼らに何も言えずに帰ってきてしまう自分も情けないけれども・・・。

 

せっかくの春の日ののどかな気分が台無しになってしまった。

 

 

これしきの傍若無人ぶりなど可愛いものニャッ! (カラパイアさんのサイトより)

選択ミス

本やドラマであれ食べ物であれ、なるべくけなすことは書かないように心がけているけれど、今回はちょっと書いてしまう。あまりにもがっかりしたから。いや、私、心が狭いか?

 

コンビニは年間でも数えるほどしか利用しないが、先日そのコンビニに珍しく入った。散歩の途中にあったファミリーマート。食パンを買わないといけないが、風のとても強い日だったのでいつも買い物をするスーパーまで足を延ばすのも気が重く、つい通りがかりのそのコンビニに入る気になった。

 

目当ての食パンを買った後、ついスイーツの棚を物色し、「しっと~りなめらか みつあま焼き芋」というのに目が止まった。さつま芋を使ったスイーツは大好き(いや、あんこもクリーム大好きなのだが)なので、今日はこれを食べてみようと思った。

 

 

そうしてレジに行くと、「五百〇〇円です」と言う。聞き違ったのかと思ったが確かに500円を超えている。そう言えばまるで値段を確かめていなかった。まあ300円越えのスイーツなら、さぞや美味しいことだろうと期待はいや増す。

 

ところが、これががっかりだったのだ。思っていたのとは違って、普通サイズの半分より小さいさつま芋のひとかけが真空パックされて現れた。

 

付属のスプーンと、真空パックから出したところ。

 

期待しすぎたのがいけなかったのか、これがまるで甘くない。これならいつものスーパーで売っている石焼き芋のほうがはるかに美味しい。しかも普通サイズ1本で198円で買える。ああ、他のスイーツにするのだった・・・と、今さら悔やんでも後の祭り。

 

あまりなコストパフォーマンスに驚いてネットで感想を検索すると、「すっごく甘くてトロトロ」とか「めちゃくちゃ甘い」といった感想も見られたので、本物の芋を使っているだけに、サツマイモ自体の味に左右されるのだろうか、私は運の悪い芋に当たったのだろうか・・・とも考えられる。もちろん、私と同様の「甘くしっとりな焼き芋を想像していた分がっかり」「リピートはなし」というのもあったけれども。

 

めったにコンビニに入らない私が珍しくコンビニで買い物をし、あまり新しいものには飛びつかない私が、つい惹句に惑わされて未知のスイーツに手を出した。せっかく普段と違う行動様式を試みたのに残念なことだったが、これで羹(あつもの)に懲りてなますを吹くようにはならないようにしよう。残り時間は少なくなるばかりなのだから、新しいことに挑戦することを億劫がらないようにしたい。

 

たかが300円ほどのスイーツで、大仰なまとめとなった。

入学式と会議と

今年の4月は、6日が土曜日だからか入学式が早い。小学校は昨日で今日は中学校。小学校は卒業式と同じく招待なし。中学校は例年卒業式だけで入学式は招待なしだったのだけれど、どういうわけは今年は入学式も招待が来た。

 

昨日、民生委員の会長さんから出席するのなら迎えに行きますよとLINEで声をかけてもらい恐縮だったが、この日は市の老人会女性部の2024年度第1回の会議があり、早々に中学校には欠席のメールを送っている。会長さんには丁重に辞退申し上げた。

 

今日の服装には黒い靴なので、たまにはビルケンシュトックを履こうと思っていたのだけれど、間の悪いことに雨が降り出しそうだ。それで急遽同じ黒でも濡れても大丈夫なものに変更して出かけた。

 

なんとビルケンシュトックを買ってからもう8年も経つのだった!あまり履いていなくて、いまだに新品みたいだ。

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2年任期で今年は役員の改選はない年だが、今までずっと女性部会の会長をなさっていた方が退会されたとのことで、会長と副会長の選び直しが行われた。長く会長職にあり非常に元気の良い方だったのだが、任期途中で退会ということは、お体でも悪くされたのかも知れない。いくら元気で活発な方でも、高齢は高齢だった(80代半ばくらいだった)ので、そんなこともあるかも知れない。これが高齢者の世界なのだなと思う。

 

幸いあまり紛糾することもなくすんなりと後継が決まり、最大イベントのバザーもなくなったとあって1時間もかからず会議は終了した。昨年暮れの会議の時に、バザーの代替イベントが雑巾の寄付ではあまりに簡単すぎないかと言うような問いかけが事務局側からあったので、今回それにかんする議題が提出されるかと思ったがなかった。

 

もう雑巾の寄付も老人会本体の行事にして、女性部を廃してもいいくらいだ。そう言えば、だいたい、男性部はないのに女性部があるのもおかしな話だ。来年あたりこの提案をしてみようか・・・。

 

 

「婦人会」とか「老人会婦人部(女性部の旧称)」も、こうしたものの流れなんだろうな。

茶の間から見た戦争『小さいおうち』中島京子著

2010年に第143回直木賞を受賞した作品で、2014年山田洋二監督によって映画化された。映画は主に女中タキが仕えた女主人時子の秘めた恋に重きが置かれていたように思うが、小説は舞台となった戦前から戦中の中流階級の生活が、こまやかにいきいきと描かれていて大きな魅力になっている。

 

特に戦争中の東京の様子や市民の戦争に対する受け止め方が、多くの戦争文学や戦争を扱ったこれまでの映像作品とかなり違っている。タキが自分史として書き綴っているノートを見た甥(妹の孫、甥の次男)の健史(たけし)が、「知識として知っている戦争中の様子とあまりに違う、嘘を書いてはダメだよ」と言うほど、のんびりしている印象で、これがその時代に実際に生きて暮らしていた市井の人々の実感に近いのだろうと感じた。

 

たとえば、昭和10年。5年後にはオリンピック東京大会の開催を控え、東京はウキウキした気分に包まれていたと書かれている。健史は「そのころ日本は戦争してたんでしょ。二・二六事件のあった昭和10年がそんな雰囲気だったわけがないよ」と言う。しかしタキは言う。事変はあったが戦争はなかった。戦争と言えばイタリー、エチオピア、スペイン内戦だった。なんと無知な大叔母かと思うかも知れないが、健史が考えるほど無教養ではないと憤る。

 

「戦争が始まって(中略)世の中がぱっと明るくなった」とか、「食べ物は貧相になっていたけれども、(中略)株やなにかが、どんどん上がっていって、それで大儲けした人なども出て、街が少し賑やかになり」といった記述があり、昭和17年でさえ、2月のシンガポール陥落に巷は湧き、マレー海戦勝利を記念して全国の小学生に配られた青いゴムまりを持ち帰った平井家の息子恭一ぼっちゃんをして、「山下大将のおかげなんだよ。日本の軍隊が強くて偉いから、これから我が国は、うんと豊かになるんだってさ。お砂糖も、たんまり入ってくるんだって」と言わしめている。

 

都合の悪いニュースが伏せられていたこともあって、庶民が戦争を喜んで受け入れていたことがうかがわれる。戦争とは、こういう風に始まるのだということがよく分かる。確かに、戦地で、空襲の現場で、原爆が投下された地で、ひどい目に遭ったのは末端の兵士や庶民だけれど、その時代のただなかにいると、知らされるべき情報が知らされず、いつの間にか市民一人ひとりも加害者になってしまうのだということを思い知る。

 

それにしても、知らされなかった庶民は仕方ないが、各地での悲惨な戦果もお粗末な兵站も全て把握していた軍の上層部が、いくらかでも早く終戦を決めていればと改めて痛感する。タキさんの記憶では、「パールハーバーから市議会選挙の年(昭和17年)までは平和だった」のだ。

 

こうした戦中の庶民の暮らしを背景に、平井家の夫婦の問題や時子奥様の秘めた恋などが語られる。タキは13歳で女中奉公のために上京し、戦争末期に疎開で戻る以外はほとんど故郷山形に帰ることもなく、仕事を引退した後も茨城の田舎で暮らす。

 

昭和40年代あたりまでは、まだこうした「お手伝いさん」という住み込みの就業形態が残っていたように思う。送り出す田舎では口減らしであり、またきちんとした家庭で家事全般を仕込まれることから、花嫁修業でもあった。

 

 

そう言えば、昔『風と樹と空と』という石坂洋次郎の小説を原作にしたテレビドラマがあった。鰐淵晴子さんが主役のお手伝いさんを演じていた。森繁久彌さんの『七人の孫』でも、樹木希林さんがコミカルなお手伝いさんを演じていた。今は懐かしいお手伝いさんという文化・・・。

 

最後に、書かずも・・・であるが、タイトルはもちろん、バージニア・リー・バートンの絵本『ちいさいおうち』にちなんでいる。