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たいせつなことは目には見えないんだよ・・・

荷を負いながらも飄々と生きる『まほろ駅前多田便利軒』三浦しおん著

何年か前に、夜遅い時間のドラマでやっているのを何回か見たことがあり印象に残っていたので、読んでいる間ずっと、脳内では瑛太さんの多田と松田龍平さんの行天(ぎょうてん)が活躍していた。

 

ドラマのほかにコミックや映画にもなっているので、ご存じの方も多いかもしれない。主人公の多田は、東京の西のはずれのまほろ市(もう40年以上前だが、近くに住んでいたので、モデルが町田市だとすぐに感じた)の駅前で、一人で便利屋を営んでいる。依頼先で高校時代の同級生の行天に偶然出会い、金もなく行くあてもないらしい彼を住まいを兼ねる事務所に一晩泊めるが、なんとなく行天はそのまま居ついてしまい、あまり役に立たないながらも、二人で便利屋をしていくことになる。

 

どうやら、高校時代に多田と行天の間にはなにかがあり、多田はいまだにわだかまりがあるらしいことが見えてくる。またその後の人生にも、それぞれかなり重い屈託を抱えているようだ。冷たいとも思えるあしらいの多田だが、行天は気にとめるふうもなく平然と暮らし、ときにとんでもない行動をとって多田を慌てさせる。

 

こうして、次々と舞い込むおかしな依頼に、この二人がかかわっていく物語が紡がれる。家族の代わりに便利屋が見舞いに来る、入院中の認知症のお婆さん。「旅行に行く間」とチワワを預けながら、実は夜逃げしていた家族。そのチワワを引き取りたいと申し込んでくる自称コロンビア人の娼婦たち。仕事の都合がつかない親に代わり、便利屋に塾帰りの迎えに来られる小学生。親友が親を殺したらしく、取材に殺到したマスコミを逃れるために保護を依頼してきた女子高校生・・・。

 

登場人物たちは、みな多かれ少なかれ不幸な状況や面倒な事態に置かれている。とりわけ、小学生や女子高校生といった、本来まだ大人に保護されてのどかな時間を過ごしているはずの子供たちを取り巻く問題に、痛々しさを感じてしまう。しかし、記憶が美化されているだけで、昔は昔なりの問題があったのかも知れず、子供といえども、そもそも生きるということは重くつらいことなのかも知れない。

 

便利軒の依頼人たちの話と並行して、多田や行天の抱える鬱屈も次第に明らかになっていく。そこにもまた重い問題が描かれているのだけれど、こうした人生のやるせなさを描きながら、物語はまるで暗さを感じさせない。それには、まじめなのだけれど、どこかで吹っ切ってしまっているような多田と、どんな事態にも飄々と軽々と応じてしまう行天、この二人の主人公の造形が大きく作用しているように思う。

 

ほとんどが、いわゆる人生の表舞台に登場する人物(今なら「勝ち組」と言うのだろうか)ではない。とんでもない事件や命の危険にも遭遇しながら、それでもなんだか、生きていればいいこともあるよね・・・という気持にさせる。

 

行天がポイ捨てするタバコを、律儀に拾って携帯灰皿に回収する多田も好もしいが、行天の隠された過去のエピソードがなんとも感動的だ。ドラマも映画も未見の方のために、これは読んでのお楽しみということで。

 

 

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今朝のストームグラス。なんっにも、ない!