あとは野となれ山となれ

たいせつなものは目に見えないんだよ

名作になりそうだった『月への梯子』樋口有介著

6室のアパート「幸福荘」の大家福田幸男は、40歳であるが、小学校の低学年くらいの学力しかない。近所で総菜屋を営む幼馴染の京子とその母親だけは昔ながらの「サッちゃん」と呼ぶが、その他の人々には「ボクさん」と呼ばれている。

 

幸福荘は20年ほど前に幸男の母親が息子の将来のためにと自宅を改装して始めたもので、母親の細やかな準備と開業当初から住む店子や京子たちの支えもあって、今は一人暮らしとなったボクさんも、なんとか経済的にも自立して穏やかな暮らしをしている。

 

草花を愛し、ペンキ塗りや水回りなどアパートの修繕などの仕事も、時間は少々かかりながらも器用にこなすボクさんは、面倒見の良い大家だと、店子たちとの関係も良好だ。

 

そんな幸福荘で、ある日殺人事件が起きる。梯子に登って外壁のペンキ塗りをしていたボクさんは、2階の5号室の住人である蓉子が、胸に包丁を突きたてられて死んでいる姿を目にしたショックで梯子から落ちてしまう。

 

数日間の昏睡から目覚めたボクさんは、自分自身になんだか違和感を覚える。妙に視界が明瞭で、今までなら自分が使うはずのなかったような言葉がすらりと口を突いて出る。頭を打ったせいで記憶をなくす人があるように、どうやら自分は梯子から落ちたせいで、頭の働きがよくなったらしいと気づく。

 

蓉子の部屋は、玄関ドアも窓も施錠されていたという。不思議なことに、この殺人事件をきっかけにアパートの住人が5人とも消えてしまう。しかも警察の捜査で全員が偽名だったことが判明する。やはり住人の中に犯人がいるのか。動機は何なのか。

 

ボクさんは、自分の変化をなるべく周囲に悟られないようにしながら、この事件の謎を追っていく・・・。

 

ぼんやりとしていたボクさんの時と、頭がはっきりしてからのボクさんの周囲の変化などがこまやかに描き分けられ、人の幸福とは何かを考えずにはいられない。事件そのものの謎解きもさることながら、住人たちの人生やボクさんの生活のゆくえにぐいぐいと引きこまれ読み進んだ。

 

このままボクさんや周囲の人々を描き進んでいたら、なかなか良い作品になったのではないかと思う。最後の最後に思いもよらないどんでん返しがあって、私にはなんだかそれが残念だったような気がする。

 

 

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