とうとう死者は3万人を超えてしまった。一週間前に起きたトルコの地震だ。4年前に配偶者の仕事の都合で刈谷へ引っ越していってしまったけれど、かつての日本語教室の生徒さんで、トルコ出身の女性がいらした。
変形性股関節症の手術後1年たって平穏に暮らしていた私が、チャリティーバザーの役目で二日連続で作業をし痛みがぶり返してしまった時、彼女の親切に触れ、感激してブログに書いた。
3年前のトルコの地震の時も彼女の出身地とは離れた場所だったそうだが、今回もやはりかなり距離のあるところで、ご家族にもご友人にも被害はなかったようだ。
けれども、百何十年も前に遭難した祖国人が日本人から受けた恩を忘れず、いまだに親日的な感情を持っていてくれるトルコの人たち。そして、「病気の人、困っている人を助けるのはトルコの文化です」と、雨のなか重いお米の入った袋を提げて私を訪ねてくれた彼女のような人の暮らす国の受難に心が痛む。
いや、世界のどこで悲劇が起きようと、必ずそこには心優しい人が暮らしているにきまっているのだけれど、なにかしら、わずかにでも自分とつながりがあると、思いはひとしおになる。だから草の根の交流で、人と人がつながることは大切な意味があると思う。
日本時間の今日の未明にも救出された人たちがいるというのは、一筋の光明だ。少しでも多くの命が救われるよう祈りたい。
神々しいほどの祈る姿 (産経フォトさんのサイトより)