あとは野となれ山となれ

たいせつなことは目には見えないんだよ・・・

大切な人に会いに行きたくなる『傑作はまだ』瀬尾まいこ著

大学在学中に文学賞を受賞し、そのまま職業作家になってしまった加賀野正吉は、順調な執筆生活はしているが、実態はほとんど「ひきこもり作家」だ。即金で購入した大きな家に住んではいるが、独り身で近所付き合いもない。

 

そんな正吉の前に、ある日突然息子が訪ねてくる。バイト先がこの近所だから、ここから通わせてもらうと言う。その息子は、正吉が大学を出て二年目の秋に、学生時代からの友人の誘いで出かけた飲み会で知り合った永原美月と、酔った勢いで関係してできた子だった。25年間、正吉は毎月養育費10万円を送り、美月からはそれを受け取った印に息子智(とも)の写真が送られてくる、それだけの関係の息子だった。

 

相手の美月への愛もなく、写真で見る我が子に会いたいという気持ちもなく暮らしてきた正吉に対し、智はまるで25年の時間の隔たりなどなかったかのように、明るく親しく接してくる。そればかりか、いつの間にか自治会に加入し、近所のお年寄りとも親しくなって、祭りだなんだと正吉を人付き合いに巻き込んでいく・・・。

 

生身の人間と言葉を交わすことなどほとんどないような生活に、なんの不都合も感じず暮らしてきた正吉が、人懐こく社交的な智の出現で、生活をかき乱され振り回され戸惑うさまが楽しい。こんなに鈍感でよく物語を紡ぐものだと呆れるような人物だけれど、なぜか憎めない気もする。

 

そしてこの物語を魅力的にしてぐんぐん引っ張っていくのは、智の温かく優しい人柄だ。正吉の思い出の中にいる美月が母だとすれば、どうしてこんなにも素敵な若者に育ったのだろうと不思議な気がする。

 

後半でそのあたりの事情が明かされてくると、そうか、そうだったのか・・・と納得する。このあたりはこの物語の大切な部分なので、触れないでおきたい。正吉がひきこもっていた25年間、母子にはどんな時間が流れていたのか、そしてこのあとの正吉の人生がどんな変化を起こすのか、興味をお持ちになった方はぜひお読みになってください。

 

 

ああ、思っているだけではダメだな、メールも違う、やっぱり実際に会わなくちゃ!大切だと思っている人には、会える時に会わなくちゃ。理由も何もいらないんだ!という気持ちになってしまう、温かな読書だった。