あとは野となれ山となれ

たいせつなことは目には見えないんだよ・・・

食品ロスというもの

昨夜は理事をしているNPO法人Mix upの総会があった。総会とは言っても、まだ設立間もない弱小団体で会員も少なく、先月行った理事会とさして人数も顔ぶれも変わらなかったのだけれども。

 

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その席で、お茶と一緒に配られたのが苺ジャムで、「なぜ?」と思ったら、賞味期限が短いとのことで理事長が知人から貰ったものだと言う(昨日の時点で期限はあと1日)。でも、きっとまだまだ大丈夫。

 

いかにも手作りっぽく、パッケージも素朴な紅ほっぺジャム。カロリーが増えるけれど、今朝さっそくバタートーストに乗っけていただいた。優しい甘さで美味しかった。

 

こんなふうに、まだまだ十分食べられるのに、制度上の問題で捨てられるしまう食品が、日本中でどれほどだろうと思うと、本当にもったいなくて残念でならない。

 

ちょっと検索してみると、消費者庁のサイトに日本の食品ロスは522万トンとあり、これは、世界中で飢餓に苦しむ人々に向けた世界の食料支援量(2020年で年間約420万トン)の1.2倍に相当するとのこと。

 

日本人1人当たりにすると、毎日お茶碗1杯ほどの食品が捨てられている計算になるそうだ。私もそうだが、無駄になどしていない人もたくさんいるはずだから、捨てられるところでは怖ろしいほど捨てられているということだろう。今回貰ったジャムのように、流通過程で廃棄されている量がきっと大きい。

 

近頃はこうした期限の迫ったものを、そうと謳ったうえで安く販売したり、フードバンクに回すなどもされているようだけれど、とうてい廃棄に追いついてはいないだろう。いまや国内にさえ十分食べられずにいる人も少なくないことを思うと、なんとかならないものかと思う。

 

大きすぎたり形が不ぞろいなために、出荷できず廃棄される野菜ももったいなくてならない。畑の中の道をウオーキングしていると、収穫後の白菜畑にぽつりぽつりと取り残されているものがある。このまま腐るに任せるのかしら、とって行っていいのなら喜んでいただくのだけれど・・・と思いながら通り過ぎる。

 

よくヨーロッパの紀行番組で目にするように、市場で山積みにして野菜や果物を売る形式ならば、少々育ちすぎだろうと形が不ぞろいだろうと、その場で売り手と買い手が交渉して納得の上売りさばくことも簡単だろう。そうすれば包装のプラスチックもいらず、一石二鳥だと思うけれども、日本ではそうした売り方をするところは少ない。

 

それから、根本問題ではないけれども、「食品ロス」という呼び方もなんだか欺瞞を感じる。はっきり「食品廃棄」と呼んでもいいのではないか。「いじめ」と同じく、問題の本質を見えにくくする言葉のように感じる。