あとは野となれ山となれ

たいせつなことは目には見えないんだよ・・・

進む閉店

「名古屋の今日の最高気温は8度でしょう」という朝の天気予報にひるんだけれど、先送りしても良くなるとも限らないと思いなおし、所用を果たすため出かけることにする。今日は用事が済んだ後、駅前のお店でランチにしようと決め、そのように時間も見計らって家を出る。

 

さて用事も片付き目当ての店に勇んで行ってみると、ない!お店がない。空き店舗になってしまっている。閉店してしまったようだ。仕方がないのでまた駅ビルに戻る。駅ビルと言えばたいていお寿司屋さんだが、昨日のお昼に食べたばかりなので、今日はとんかつ屋さんにする。高齢になっても肉はしっかり食べた方がいいそうだし。

 

席に案内されて座り、先ほどの店を検索してみると、やはり閉店したという記事が見つかった。さらに驚いたのは、それが2021年の春だったことだ。スタンディングの仲間たちと、駅前でのイベントの後にはよくこの店でお茶を飲みながら反省会などをしたものだ。イベントをしなくなってからの、そしてコロナ禍になってからの、時間の長さを改めて思い知らされる気分だった。

 

しっかりと昼食を済ませたあと、利用する電車の駅に行くのに駅ビルの中を通って軽くウインドウショッピング。勤めていた頃も、そして週に何度も駅前のスタンディングに来ていた頃も、よくのぞいたファッション雑貨店も閉店してしまっていた。ショートカットになるうえ、冷暖房されているから駅に行くのによく通り抜けさせてもらったソフトバンクのモバイルショップは、学習塾に替わってしまい、通り抜けできなくなっていた。

 

もともと、行政が「街中活性化」に力を入れてもいっこうに商店街のシャッター化が止まらない豊橋市ではあったが、やはりコロナの影響もあるのだろう、私が家にこもっているこの2、3年の間に、いっそう寂しいことになっている。

 

母が家にいたころから、たまに街に行っても、母とお茶を飲むところも食事に適当なところもあまりなかったけれど、まだあの頃はデパートが一つだけだけれど残っていた。今やそのデパートもなく、もう街に出ても行くところがない。

 

1パーセントの富裕層と99パーセントの庶民、のように、全国の都市も、東京のようにごく一部の肥大する都市と、その他大部分のさびれていく都市との両極になるのだろうか。

 

 

この季節になると、カーテン越しに差し込む光が嬉しくて、つい写真を撮ってしまう。でも、思うようにその光が表現できない・・・。