あとは野となれ山となれ

たいせつなことは目には見えないんだよ・・・

雨の中、冤罪被害者支援活動の仲間たち

昨年からコロナのためにめっきり様々な活動の機会が減り、狭山事件の支援者の会の会費が払われていないと連絡を貰った。今まではスタンディングやその他の活動で、その会のリーダーをしている人と会った時に払っていたのだけれど、気が付けば昨年分から払っていなかった。

 

今日、11時から駅前で街宣活動をするというメールを貰っていたので、その時刻に合わせて豊橋駅まで出向き、2年分の会費を支払った。久々に街宣活動を手伝っても・・・と思っていたが、男性ばかり3人で準備をしていて、あいにくの雨模様ということもあってか集まる人も少ないようだったので、証拠品の再鑑定を求める署名だけしてその場を離れた。

 

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そのあと、駅ビル内の無印良品で買い物をして、焼き立てパン屋さんのイートインコーナーでサンドイッチとスープのお昼をとり帰宅した。

 

途中、老人会の仲間から電話が入り、先日脳梗塞で救急搬送されたメンバーが亡くなったとのことだった。今年は老人会のメンバーが4人も亡くなった。高齢者の集まりなので仕方のないことではあるけれど、今回の方など会の中でも最も若いほうの65歳だ。親しくなった方が亡くなるのは、知らない人の場合の何倍もこたえるものだ。

 

この世に生を受け、命の火が消えるときまで、一人ひとりに様々な人生があるのだけれど、思いがけない事故で覚悟も自覚もないうちに亡くなってしまう人もいれば、濡れ衣を着せられて、無実の罪で何十年も服役する人生を送る人もいる。どのようなめぐり合わせで、そうした過酷な運命を与えられるのか。理不尽としか言いようがない。

 

平凡な結婚をして平凡な妻・母で終わるつもりが、思いがけなく波乱の展開を見た人生ではあったが、それでも大きな事故や災害に巻き込まれることもなく70年余りも生きてくることができ、犯罪の加害者にも被害者にもならず、まして冤罪などに問われることもなく今日までいるというのは、なんとありがたいことか・・・。

 

ちっぽけな存在でちっぽけなことしかできないけれども、せめて世の中の理不尽な運命に苦しむ人のためにできることを、自分なりにし続けていきたいと思う。

 

 

5年前の街宣活動