あとは野となれ山となれ

たいせつなことは目には見えないんだよ・・・

やっぱり書こう!

うちの子たちはいなくなってしまったし、別に特記することもないのだけれど、やはり2月22日ということなので、更新しようかなと思う。

 

過去の猫の日のエントリー:

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日本語初級の2冊のテキストを終えてしまった私のグループでは、いま夏目漱石の『吾輩は猫である』を読み進めているのだが、まあ、この時代の猫の扱われようは実にひどいものだ。現代なら動物虐待で問題になりかねない。

 

もちろん、今現在もひどい状況に置かれている動物もいる。なにせ、21世紀だというのに、人間すら虐殺にあっているという信じられないような野蛮さなのだから。

 

けれども、日本語教室のあるスタッフは、老犬のために夏は家を留守にするときもエアコンはつけっ放しだと言う。かく言う私もうちの猫たちがいた時は、冬は猫たちのベッドに小さなホットカーペットを入れて、終日あったかくしていた。

 

拝読しているブログでも、多くの方がそれぞれのペットや世話をしている地域猫などに対する心配りを書いていらっしゃる。空飛びネコさん(id:soratobi_neko)のところの猫ちゃんたちはかなり過酷な暮らしをしていた子が多いようだけれど、それでも空飛びネコさんのところで手厚い看護や愛情を受け、飼い主さんより高級なものを食べさせてもらっているようで、読んでいてこちらまで幸せな気持ちになる。

 

動物もヒトも、どこに生まれ誰と出会うかで生活がまるで違ってしまう。絶対に選ぶことはできないことなだけに理不尽なことよと思うけれど、「与えられた場所で咲くしかない」。けれど、咲く前に、いや蕾すらつけられないまま、命を落とさざるを得ないこともある。

 

星の王子様が自分の星のバラをガラスのドームで覆って守ったように、大切に守ってあげたいと思っても、特別な力を持たない一人の人間にできることには限りがある。猫の日に、すべての動物たちが穏やかに暮らせる世界でありますようにと祈るが、その前にまず、ヒトが、特に小さな人たちが、守られる世界になって欲しいものだと切に思う。

 

 

『吾輩・・・』には吾輩の気に入りの定位置として「朝は飯櫃の上」と出てくるが、さしずめこれは現代の飯櫃の上。 (hanyakotahachiのブログさんより拝借)