あとは野となれ山となれ

たいせつなことは目には見えないんだよ・・・

『ドライブ・マイ・カー』ラストの私的考察

今ごろという感がぬぐえないけれど、やっと話題になった作品を鑑賞した。上映時間3時間ということで、なかなか観る決心がつかなかった(当然ながら結末に触れるので、まだこれから視聴予定で結末を知りたくない方は読まないでください)。

 

 

 

 

3時間近い視聴の後、唐突な場面転換、そしてさらに唐突にポンと観客を放り出すように終わる本作。あとは、それぞれが好きなように受け止めてくださいということだろうか。それで、私も自分の好きなように解釈してみた。

 

韓国で日用品を買い物し、レジの人と流暢に韓国語で話すみさき。買い物を済ませて駐車場の車に戻る。車は家福の愛車と同じ赤いサーブで、車中には韓国人のユンスとユナ夫妻が飼っていたのと同じゴールデンが乗っている。

 

家福とみさきは一緒に暮らしているのか?しかもユンス夫妻の犬もいるということは、彼らとも一緒に暮らしている?などとも受け取れるが、私はまず第一に、家福とみさきは男と女の関係になってほしくないと思った。

 

家福が亡くした娘が生きていれば、みさきと同じ年齢だというセリフもあったように、家福はみさきを娘の延長線上で見ていてほしい。みさきもまた、自分と同じように大切な人を失い、そのことに自責の念を感じて苦しんでいる家福に対して、同情と深いいたわりを感じる。だから北海道のみさきの生家あとで、苦しみを吐露した家福をみさきが抱きしめたのは、恋愛感情ではなく人としての愛情だと受け止めたい。

 

いろいろな人がいろいろな解釈をしている中に、みさきの母が在日韓国人だったのではないかというものがあって、非常に納得のいく思いがした。シングルマザーであったにしてもかなり過酷なみさきの生い立ちは、母がいわれのない差別を受けていたと考えると納得がいく。おそらく日本語が不得手であったろう母親は、もろもろの苦しさや苛立ちを娘であるみさきにぶつけていたのだろう。

 

犬についても別な犬だという人がいて、私も犬の登場するシーンを再度見直したのだけれど、ラストで出てくる犬は左耳が立ち気味で、ペッタリと垂れていたユンス夫妻の犬とは違うような気がするし、違うと思いたい。

 

家福のドライバーをすることで母との葛藤から解放されたみさきは、自分のルーツである韓国に移住して、新しい人生を生き直す。そんな彼女に、同じく妻の喪失や自責の苦しみから立ち直った家福は、人としての柔らかさを持ち、長年の愛車を自分で運転するというこだわりを捨て、祝福のために愛車をみさきに譲ったのではないか。もしかしたら、目の状態の悪化を遅らせるため、運転をしなくなったのかも知れない。

 

ということで、家福もみさきも、それぞれに大切な人の喪失から立ち直って新しい人生を生きていてほしいというのが私の希望であり解釈だ。

 

最後にひとつだけ。全編を通してタバコが重要な小道具になっているのだけれど、これはどうしても必要な表現なのか疑問に思った。みさきはいいとしても、家福のような立場の人が、いまどきあれほどの喫煙者であるのは少々抵抗を感じる。私は村上春樹作品をあまり読んでいないので、この点について理解ができていない。原作も未読。

 

 

男と女の抱擁ではないと思いたい。