あとは野となれ山となれ

たいせつなことは目には見えないんだよ・・・

人々の小さな営み『ひとっこひとり』東直子著

すべて18ページのごく短いお話が12編。「小説推理」に2022年5月から2023年4月まで1年間掲載された作品のようだ。市民館の新刊書のコーナーで見つけた。

 

出版社の紹介文:

私たちが日常で交わす何気ない言葉、「大丈夫」「ごめん」「もういいよ」「なんで?」「ありがとうね」などのひとことをテーマに綴った短編を収録。孤独や寂しさを抱える現代人の心を掬い取りながら、ラストにはほのかな希望をそっと提示してくれる物語。歌人としても活躍する著者の、言葉のセンスがきらめく12編。装画を手がけた人気イラストレーター、三好愛氏の挿絵が彩りを添える。

 

その人自身にとっては大変な出来事でも、はたの者にはどうということもなく、日常的にあちこちで起きていそうなこと。それを著者の繊細な目がとらえて温かな物語に織り上げている。

 

「もういいよ」の主人公は赤ちゃんの時に母親が死んでしまった高校生の芽以(めい)と、そんな娘を市役所の定時で終われる部署に異動して、ずっとシングルファーザーで育てている父親の二人。あるブログの弁当写真が芽以の弁当と全く同じことに気付いた友人の指摘で、そのシングルファーザーのブログが芽以の父親のものだと知られ、友人たちから母親がいないことに同情される芽以。強い反発を覚え帰宅して父親にあたってしまうが・・・。

 

物心ついてからなら寂しくもありつらくもあるだろうが、確かに赤ちゃんの時から母親がいなければ、その子にとってはそれが当たり前の状態で、「かわいそう!」と思われてしまうことは不本意かもしれない。けれどもちょっとした行き違いがあっても、この物語の父娘の愛情はまっすぐぶつかりあって、爽やかな感動を贈ってくれた。

 

「ありがとうね」の主人公は25歳のサラリーマン博之と、中学時代の国語の教師岡本先生。仕事の出先で時間が空いた博之は、実家に寄ってちょっと休もうと母親に電話する。ところがどうも電話の受け答えがおかしい。オレオレ詐欺と間違っているのかと思ったが、母親の番号を「お母さん」で登録していたために隣の「岡本先生」にかけてしまったらしい。

 

岡本先生の息子も裕行(ひろゆき)だったために、電話で互いに混乱したのだった。近いから実家ではなくうちにいらっしゃいという先生の強い誘いに、訪ねていく博之。先生の息子は博之と年まで同じだった。しかし高校生の時に病気で亡くなっていた。

 

まるで長いこと不在だった息子がやっと帰って来たかのように歓待する岡本先生と、その気持ちを思いやり優しく接するかつての教え子博之。人と人のつながり・交流っていいなあと、しみじみと胸にしみる。

 

出版社の紹介文にあった通り、歌人でもある著者のていねいに紡がれる言葉が心地よいが、「ごめん」の中に出てくる「自分もていたらくの一味なのだ」というところは引っかかった。しばしばこうした使い方を目にするけれど、「ていたらく」は「有様」のことなので、これと入れ替えてみると分かり易い。

 

あと、最後の「きれい」という物語の中に、主人公の一人である大学生が「おおあったかい。ありがたいっス」という場面があるが、この本の中でスマホとかインスタグラムといった名詞以外で時代を感じさせる表現はこの一つ(と私は感じた)で、非常に残念な気がした。それまでの話し方からいけば、この人物には「ありがたいです」の方が自然で、このような現代のおかしな敬語表現を使う必然性はなかったと思う。

 

例によってつい引っかかってしまった2点を取り上げたが、全体が良かっただけに気になってしまった、瑕瑾です。