あとは野となれ山となれ

たいせつなことは目には見えないんだよ・・・

過疎の町の薄明り『向田理髪店』奥田英朗著

元は炭鉱で栄えたが、エネルギーが石油に代わるにつれて衰退し、やがて財政破綻した北海道の苫沢町という架空の町が舞台となっている。2022年に公開された映画では、同じ炭鉱の町ではあるが、九州が舞台になっているらしい。

 

主人公はこの町で理髪店を営む向田康彦、53歳だ。札幌の大学に進学し広告会社に就職したが、父親がヘルニアで店に立てなくなり、帰郷して店を継いだ。その父は亡くなり、今は民生委員をする妻と、79歳になる母親の3人暮らしだ。

 

一日に何人も客が来ず、全く来客がない日もあるような家業を継ぐ必要はないと康彦は思っているが、札幌で大学を卒業し商事会社で働いていた長男の和昌は、地元に帰って理容学校に入り直し家業を継ぎたいと言い出している。そんな過疎の町の日々を、主人公康彦の目を通して描く連作集だ。

 

康彦という人物が穏やかで口が堅く好人物すぎるかとも思うが、このような小さな町で理髪店という商売をするからには、やはりこのような人柄でなくては長く続けては来られなかっただろうなとも思う。床屋で話したことが、次の日には町中に知れ渡っていたというのでは客は足を向けなくなるだろうし、誰かの肩を持てば誰かの敵になることになったりもすることだろう。康彦の人柄は生まれつきの性質に、さらに職業人のプライドで磨きがかかったのかも知れない。

 

農家の40歳の跡取りのところに中国人の花嫁がやって来て、刺激の少ない町の人々が鵜の目鷹の目で噂をする。けれどもやがて、人々は彼女がなんとか末永く地元の人々と仲良くやっていくために知恵を出し合うようになる。底抜けに明るい中国人花嫁のキャラクターも好ましい。

 

過疎の町では店を閉めることはあっても新規開店は非常に珍しい。そんな町で十数年ぶりに新たにスナックが開店した。店を開いたのは、札幌帰りの早苗ちゃんという42歳の女性。地元の出身ではあるが、都会暮らしが長いせいかあか抜けていてしかもどことなく色気もあって、町の男たちはみな浮足立ってそのスナックに通い出す・・・。

 

このあたりまでは過疎地の微笑ましい物語だが、有名女優の主演する映画の舞台になるあたりから、話は地味な町の暮らしから少々離れ始める。

 

最後のエピソードは「逃亡者」とタイトルも不穏だ。住人のことを誰もが知っているような田舎のやっかいさも強みも、うまく掬い上げて、心を打つ物語にしている。数少ない若者たちの行動も頼もしく、苫沢町の未来は明るいように思えた。

 

 

 

こちらは映画。