あとは野となれ山となれ

たいせつなことは目には見えないんだよ・・・

記録として・・・『Q&A』恩田陸著

学校行事の一日だけを描いた『夜のピクニック』、音楽の魅力を言葉で紡ぎ出した『蜜蜂と遠雷』など、恩田さんの作品には驚かされることが珍しくないが、この作品もタイトルといい、地の文が全くない構成といい、実に斬新だ。

 

都下郊外の大型商業施設で多くの犠牲者を出す大事故が起きるが、どんなに調査しても原因がはっきりしない。前半はその調査の一つである被害者たちへの聞き取りで、同じ形式の質問とその質問に答える被害者たちのやり取りのみが続き、途中から質問の形が変わってインタビューになるが、やはり取材者の問いと被害者の答えが延々と続く。

 

事実は一つのはずなのだけれど、人によって見た事も、そこから得た印象も様々に変わり、いったいその日、その大型商業施設で何が起きたのか、読んでも読んでも分からない。不幸な偶然から生まれた全くの事故なのか。誰かの悪意が作用しているのか。はたまた何かの機関の実験的な試みだったのか・・・。

 

現場で目撃された、血のついた大きなぬいぐるみを引きずる幼い女の子という存在が象徴するように、心をざわつかせるに十分なストーリーだ。恩田さんの作品で思いがけない読後感に出合った。まあ、大して読んだわけでもないけれど。

 

そんな中で、聞き取り調査に答えた、71歳の年金生活者である内田修造の言葉の一部が心に刺さった。

金儲けに汲々とし、モノを手に入れることにばかり邁進して、ちっともいい社会を作ってこなかった私たちの世代。金を使い、モノを手に入れ、消費することが幸せだ。学歴が大切だ。勉強さえしていればいい。横並びが一番だから余計なことは考えるなと刷り込んで、私たちが、生活技術も思考能力も、生きる知恵を与えてこなかったことを、彼らは恨んでいる。あの日、あの場所は憎悪に満ち満ちていた。彼らは自分たちの子供も憎んでいた。子供たちさえいなければ、自分たちのためにお金を使えるし、キャリアアップだってできたのに、どうして自分の時間を犠牲にして金食い虫である子供たちに奉仕しなきゃならないのか。子供が薄情なことは我が身を振り返ればよく知っているから、自分たちの将来の世話など期待できないことを、彼らは誰よりもよく承知している。先の見えない不況で、外はひどく寒くて、オリンピックでもちっとも勝てない。誰もがイライラして、憎む対象を探していた。あの日はそんな日だったんだ。

 

 

 

ちょうど私の世代。そうだ、私にもこの反省がある。すぐ上の世代が学生運動などでそれまでの社会の規範を打ち崩し、自分たちは従来の枠に収まらなくても良い自由を手に入れながら、新しい価値観やルールを作り出すことをしなかった。

 

この事故の原因がはたしてこの男性の言うようなものかどうかは分からないが、この何十年かに表面化した社会の問題の何割かは、私たち世代のこうした姿勢に起因しているような気がしている。

 

 

この作品は「イヤミス」のお好きな方ならいいかも知れないが、ほのぼの系を好む方にはお勧めしない。少し前に読了し、ブログでは取り上げないつもりでいたが、恩田さんの作品なら読んでみたい方もいるかも知れないし、私は苦手だけれど、「イヤミス」ファンの人だっていることだしと思いなおし書いてみた。2004年の作品。