あとは野となれ山となれ

たいせつなことは目には見えないんだよ・・・

人生の極意『そして、バトンは渡された』瀬尾まいこ著

以前映画を(と言っても劇場ではなくネットフリックスでだと思うが)見て、まあまあ良かったのだけれど、marcoさんが原作の方が何倍も素晴らしいということを書いていらしたので、早速市民館にリクエストして読んでみた。あらすじはmarcoさんも書いていらっしゃるので省く。

 

garadanikki.hatenablog.com

 

大雑把にまとめてしまうと、映画は少々湿度高めだが、原作はカラッと気持ちよい。そして、運命に翻弄された少女と薄幸の美女といった風情の映画に対し、原作はたくさんの愛に包まれた少女と、ちょっと珍しい生きがいを見つけた男の物語という感じがした。

 

ことほど左様に、両者はかなり雰囲気の違うものになっている。marcoさんの仰る通り、映画は万人向きでステレオタイプな物語になってしまっている。もちろん、十分良い作品ではあるけれども。

 

育ててくれる大人がころころと変わるというのは、一般的には不幸なことととらえられるのだろうが、この物語の優子のように、それぞれが愛情いっぱいに接してくれるということもあるわけで、そうした場合、むしろ支配的であったり独善的であったりする血のつながった親から離れられないことより幸せかもしれない。

 

育ての母である梨花もかなり変わった人物だけれど、それ以上に面白いのが、梨花に血のつながらない15歳の娘を押し付けられて、それから男手一つで楽しそうに子育てに取り組む森宮という人物だ。

 

同窓会で再会した梨花に子育てをする楽しさ(自分の明日に加えて、もっと夢のある子供の明日まで持つことができる)を語られ、その言葉に魅了される。森宮は東大を出て一流企業に勤めながらも、人付き合いは苦手そうで、おそらくこの同窓会での梨花との一件がなければ、一生独身だったのではないかと思えるような人物だが、それでもさすがにこの状況にはひるむと思うのだが、彼は本当に楽しそうに優子との生活を送る。

 

家族は姓が一致していなければ不幸せだと決めつける政治家たちには、とうていこの森宮氏の幸せは分かるまい。娘に「森宮さん」と呼ばれていても、思春期の娘の父親としてはなかなかいないかもしれないほど、幸せな父である。

 

優子の育ての親たちに対する心遣いや森宮氏の選択は、人生を機嫌良く生きるヒントのような気がする。ある程度の経済的基盤はもちろん欠かせないし健康なども重要な要素ではあるが、人生の幸不幸はその人の気持ちの持ちようが大きく影響する。

 

結婚も、まして子育てなど、「コスパが悪い」と敬遠される現代だけれど、森宮氏のような幸せな人生の選択もある。この「渡されるバトン」は、私には人生を幸せに生きるリレーのバトンのような気がした。

 

 

いろんな形の家庭があっていいよね!