あとは野となれ山となれ

たいせつなことは目には見えないんだよ・・・

ガザの虐殺に反対を表明

先週末に続き今週も20、21、22日の3日間スタンディングをするというので、昨日はかなり久しぶりで駅前のスタンディングに参加した。罪もない多くの子供が殺されたり苦しんだりしている時に、せっかく声を上げる場が提供されているのに加わらない理由がないと思ったからだ。

 

定刻の午後5時に着くと、すでに横断幕が張られ7、8人の人がハンドマイクで話したりビラを配ったりしていた。全員おじさん。私の後しばらくしてスタンディング仲間のもう一人の女性が加わり、途中からは通りがかった女性が飛び入りで参加してくれて女性は結局3人。やはり夕方のこの時間は、家族のいる女性はなかなか参加が難しい。私ももう一人のスタンディング仲間の女性も、自由な一人暮らしだ。

 

で、結局おじさんと3人の女性と十代の男の子が1人で、合計12名の参加だった。

 

スタンディング後、メンバーからはパレスチナの状況に詳しい国際人権論の高橋宗瑠教授の講演会の誘いがあった。一般にはまず知られていない、驚くような事実も語られるとのことだったが、この人たちは相変わらずだなという思いを強くした。

 

団塊世代というか、70代半ばあたりからもう少し上の社会活動に熱心な男性がたの多くは、いかに人より詳しい情報を持つかを非常に重要視する。講演会などで質疑応答になった時も、講師への質問というより、自分はこんなに詳しいという自分語りになってしまう人をいやというほど見てきた。

 

それぞれ一所懸命なのだろうが、活動もどうしても「真実を詳しく知る・知らせる」ことに注力しがちで、外側にいる一般の人にとっては難しく、近寄りがたいものになってしまう。何十年もリベラル派の活動が広がることがなかったのは、これが大きな原因だと思う。

 

私は中東の長く複雑な事情はあまり知らない。もちろん知る努力は大切だけれど、今差し迫って必要なのは現に起きている虐殺を一刻も早く止めることで、そのために必要なのは難しい事情を知らせることではないと思う。ガザに心を寄せることを近寄りがたいものにせず、いかに自分のこととして考えてもらうか、それこそが必要なことのように思う。

 

ビラの受け取りは決して良いとは言えなかったが、高校生のグループが何組も足を止めては、メンバーの話に耳を傾けている姿には希望を感じることができた。