あとは野となれ山となれ

蓮舫さん応援のため東京にスタンディングに行きたい気分だ!

大切なひとしずく

このところ一人街宣を伝えるX(旧ツイッター)を見て、ほとんど泣きそうになっている。どんどん広がっている様も、ドキドキしながら初めて街に立った人が、通りがかりの人に感謝されたり励まされたりする様子も、やっと民主主義が芽吹いてきたという思いで心がふるえる。

 

一つひとつは小さなことだろう。人数だって大した数ではないかも知れない。けれども、世の中を変えていくということはこうした小さなことの積み重ねだろうと思う。スーパーヒーローが現れて快刀乱麻で問題解決とか、トップダウンで新しい世というのは、また別なヒーローやトップが現れれば、一夜にして変わってしまう。

 

小さな弱い一人ひとりの有権者が声を上げ、それが集まって世の中が動く。時代が下ってずれやゆがみが出てきたら、また小さな声を積み上げて正していく。それが真の強い民主主義なんだろうと思う。

 

折りしも今朝の『虎に翼』では、寅子が恩師である穂高教授に「報われなくてもひとしずくの雨垂れでいろと強いて、歴史にも記録にも残らない雨垂れを無数に生み出した」と大変な剣幕で怒っていた。

 

ここまで根深く抱いていた寅子の怒りを聞いて、私は「はて?」と思ってしまった。寅子は、そして共に学んだ女性たちは、歴史や記録に残りたくて法律を学んだのか。第一期生として学んで、即、世の中を変え歴史に残ると?

 

世の中を変えるのは、やはりそんなに簡単なことではない。しかも寅子のことを案ずるからこその穂高教授の言葉(第38回)だったのであり、それを聞いて弁護士をやめるという決断をしたのは寅子自身だ。退任祝賀会の晴れの場で、心血を注いだ教え子にあそこまでひどい言葉を投げつけられた教授があまりに気の毒で、今朝はドラマを見終わって重い気分になった。

 

歴史には英雄や偉人が登場するが、それでもその人たちだけでは今日の世界はない。地道に世の中を支え動かしてきたのは、名もない多くの民衆ではないだろうか。そしてまた、歴史や記録に残らずとも、小さな努力や改善を怠らなかった人々のひとしずくの積み重ねが、岩をも穿ち今日に至っているのだと思う。

 

今回の都議選で、心を奮い立たせて一人街宣に出た「普通の」人たち。その小さな勇気が束になって、現職の厚い(面の皮ではないが)壁を貫き、加えてこの拝金主義に覆われて閉塞感漂う日本にも風穴を開けて欲しいと切に願っているけれど、権力や大企業やオカルト宗教という異様に巨大化してしまった怪物は、一度では倒すまで行かないかも知れない。もしそうなっても、私たちはいじけることなく腐ることなく、ひとしずくの雨垂れとなって石を穿ち続けなければならない。

 

 

X上からお借りしました。