あとは野となれ山となれ

たいせつなものは目に見えないんだよ

知らなかったこと、少しずつ知っていこう

少し前にNHKドラマ『昔はおれと同い年だった田中さんとの友情』を観た感想を書き、そのエントリにつるひめさんからコメントをいただいたことで、この作品の原作者椰月美智子さんの『こんぱるいろ、彼方』という作品を知った。どんな物語かは、いつもとても素敵な紹介文を書いてくださるつるひめさんのブログでどうぞ。

 

tsuruhime-beat.hatenablog.com

 

ごく平凡な家庭の、パート勤めをするごく平凡な母親だった真依子が、ある日娘の奈月に「夏休みに友だちと海外旅行に行くのでパスポートをとる」と言われ取り乱す。子どもたちには言わすに来たが、彼女はベトナム出身、5歳の時ボートピープルとして日本に来た帰化人だったのだ。

 

ベトナムの記憶もほとんどなく、ベトナムの言葉も話せない。ほとんど日本人として育ち暮らしてきた真依子にとって、それは取り立てて打ち明けなければならないことではなかったろう。

 

そして、彼女を無意識のうちに打ち明けることから逃げようとさせたのは、もしかしたら日本の「空気」だったかも知れない。日本におけるベトナムという国のイメージがもっと違うものだったら、それでも彼女は避けていただろうか。そんなことを考えずにはいられない。

 

それにしても、私はベトナム戦争終結後のことを何も知らなかったと痛感した。枯葉剤のことも結合双生児のベトちゃんドクちゃんのこともボートピープルのことも、ニュースなどで見聞きして知ってはいた。知ってはいたが、それぞれがバラバラの言葉として脳内に入ってきただけで、それらを組み立ててかの国の実態を知ろうとも想像しようともしなかった。

 

真依子たち家族がベトナムを脱出したのが1978年となっているので、私はちょうど幼い息子たちを連れて夫の婚家に同居し始める頃だ。幼子を抱えながらの転居、外国語のように訳の分からない津軽弁の世界での、価値観の違う舅たちとの生活で、自分のことだけで手いっぱいだった。でも言い訳だ。この本を読めば、ベトナムの人たちがこんな私の苦労など吹き飛んでしまうほどの地獄で生きていたことが分かる。

 

ベトナム戦争を精力的に取材した写真家の沢田教一が青森出身というので、彼の写真展が弘前で開催されたことがあり、それには息子2人(小学生くらいだったと思う)を連れて行った。全く無関心だったわけではないと思うが、心に余裕がなかったらしく、この頃のことは国の内外を問わず記憶が希薄だ。

 

過ちては改むるに憚ること勿れと言う。おかげで今は時間だけはたっぷりとあるのだから、今まであまり知らずに来たこと、知ろうという努力を棚上げにしてきたことを、少しずつでも知っていきたいと思う。

 

今回も大変有意義な読書となり、いつも素晴らしい文章で興味深い本を紹介してくださるつるひめさんに感謝だ。