あとは野となれ山となれ

たいせつなことは目には見えないんだよ・・・

雨を巡る異文化考察

昨日の日本語教室でのこと。私の受け持つクラスは、今、「雨が降ったら、出かけません」「雨が降っても、出かけます」という文型を学習している。そこから、日本人は雨に濡れることを嫌う傾向が強いようだという話になった。

 

このクラスの学習者は、現在ペルー人の女性2人なのだけれど、ペルー人はあまり雨を気にしないそうだ。もう一人の日本人スタッフは沖縄に何年か住んだ経験があり、沖縄の人たちもあまり雨に濡れることを気にしないということだった(沖縄は日本だけれど)。

 

もう少しいろいろな国の人がいればさらに面白かっただろうが、ヨーロッパが舞台の映画などを思い出しても、雨でも傘をささず、平気で濡れて歩いているシーンはよく目にするよねと、全員の意見が一致した。

 

そう言えば、日本のテレビではどの局にしても、天気予報が頻繁に入る。朝のニュースの中の天気コーナーでは、「出かけるとき雨が降っていなくても、帰りの遅くなる方は雨具の用意を・・・」とか、「今日は折り畳み傘より大きくて丈夫な傘を・・・」など、実に懇切丁寧に呼びかけている(私はこれも日本人の思考停止の一因ではないか、過保護にすぎると苦々しく思っているが)。

 

傘を忘れたとて、コンビニで安価なビニル傘が手に入るご時世なのに、かくも雨に関する情報は日本人にとって重要なのだ。衣類や布団の乾燥機が普及しても、なお、お日様のもとで干したいという気持ちも根強い。

 

西洋と日本では雨の降り方も違い、年間を通して湿度の高い日本では、いったん雨に濡れると乾きにくいということも、濡れることを嫌う心理に影響しているのかもしれない。

 

ドラマでも、登場人物が雨に濡れて歩く場面は、たいてい、不幸があったり深い悩みを抱えていたりする暗い心理の表現だ。『雨に唄えば』のように明るく楽しい雨のシーンは、日本の作品では思い浮かばない。反対に「濡れ鼠」のような情けない状況を表す言葉は浮かぶ。

 

農耕民族である日本人にとって、非常に重要な雨。ありがたい恵みの雨も、一つ間違えば収穫間近の農産物を台無しにもする。面白いことに、多くの人が田畑と切り離された現代でも、天気予報を気にし、気づかわしげに空模様を見上げる・・・。

 

 

 

雨にまつわる言葉をたくさん集めたサイトを発見

idea1616.com

 

 

私の好きな通販サイトで人気の傘。長いこと待ってやっと今日届いた。雨の日を楽しく!(画像は通販サイトの物)

ヤンキー物に「ハマる」なんて・・・

冬ドラマの『ファイトソング』では、コミュニケーションの苦手なミュージシャンを好演していた間宮祥太郎さんが、春ドラマではなんと、いつの時代かというバリバリの特攻服を着て、金髪を逆立てたヤンキーを演じている。『ナンバМG5』。

 

千葉最強のヤンキーで今はトラック運転手の父(宇梶剛士)と、同じく千葉で名をはせたレディース総長だった母(鈴木紗理奈)、高校在学中に関東を制覇し地元のヤンキーからカリスマとあがめられた兄(満島真之介)、妹も中学生ながら改造自転車を乗り回しているという筋金入りのヤンキー一家難破家の次男坊剛(間宮祥太朗)は、家族皆の兄以上のヤンキーにという期待をひしひしと感じているが、実はごく普通の高校生活に憧れていた。

 

かくして、主人公剛は県内屈指のヤンキー校である市松高校ではなく、秘かにその隣にある白百合高校に入学し、通学途中で特攻服から学生服に着替えるという高校生活を送っている。剛のこんな二重生活を知っているのは、家族の中では、子犬の時に拾ってくれた剛に恩義を感じ、彼を「アニキ」と慕ってやまない飼い犬の松(この柴犬がまた大変にチャーミングで、このドラマの魅力の何割かを占めていると言ってもいい)だけだ。

 

憧れの普通の高校生活は、胸をときめかす女の子(森川葵)にも出会い、彼女と一緒に美術部に入部し順調にスタートしたのだが、次々と波乱が巻き起こり、果たして剛の高校生活はどんなことになるのやら・・・。

 

コミック原作とのことでハチャメチャな展開なのだけれど、役者さんたちがみなその役にぴったりで、演技の加減も絶妙で、見ている側はすっかり難破家モードに巻き込まれて、一緒に笑ったりハラハラしたりしてしまう。

 

主人公一家がヤンキーぞろいとはいえ、とても家族仲が良く、何のドラマであれ、問題のある家庭が描かれることが多いこの頃には、にぎやかに家族そろって食卓を囲み、父親の「やうし」でワイワイと食べ始めるさまには心が温まる。

 

運動神経の良い間宮さんの喧嘩シーンはもちろん迫力があるが、金髪に特攻服のヤンキー姿も黒髪に詰襟の学生服姿もどちらも似合って魅力的で、新しい間宮さんの魅力が開拓されている。コミック原作のヤンキー物ということで偏見を持ち、まさかこんなに楽しく継続視聴することになるとは思いもしなかった。

 

 

初回を見逃された方も、コロナの影響で先週はメイキング映像だったので、まだ今夜が2回目です。

 

 

 

言葉の力

悲観主義は気分によるものであり、楽観主義は意思によるものである。

気分というものは、正確に言えば、いつも悪いものなのだ。

だから、幸福とはすべて、意思と自己克服とによるものだ。

 

『迷える者の禅修業』の中よりフランス人哲学者アランの言葉

 

一時期、読んだ本やら生活の中で出合った、心に残る言葉を記録していた。つれづれにパソコンの中のデータを見返していて、そのファイルを久しぶりに開いてみた。

 

上掲のアランの言葉は2011年の5月に書き留めているので、『迷える・・・』の本を手にしたのは、東日本大震災の影響かと思われる。人は言葉で傷つきもし、言葉で救われもする。

 

気分というものは、正確に言えば、いつも悪いもの」だと言う。何事もなくても、悪いのがデフォルト。それなのに、今はあまりにも実際的に悪い出来事が起こり過ぎているのだから、幸福な気分でいるためには、大変な意思と自己克服を必要とするわけだ。

 

押しつぶされないよう、頑張りましょう!

 

 

お疲れの皆さんにエールを送るニャ。サンサンナナビョーシ!

(画像はboketeさんのサイトから)

胸を打つキエフ(放送当時)の姿

世界ふれあい街歩き』という番組が好きだ。出不精の私は、自分で実際に名所旧跡に出かけるよりも、この番組で、ヨーロッパの古い街並みの小さなパブや美しい川べりなどで、仕事帰りらしい人たちが飲みながらおしゃべりに興じている姿などを見るほうが楽しい気がする。

 

その『世界・・・』で、先日2019年に放送したウクライナキエフ(当時)の再放送があった。

 

路面電車の走る市街。教会の黄金のドームが日に輝き、のどかに街歩きを楽しむ人たち。ズラッと並んだ露店には、豊富な農産物が並び、ウクライナの豊かな大地を感じさせる。

 

そんなのどかな風景の中に、突然いかつい装甲車が現れる。建物はおとぎ話のようにクラシックで美しいクリーム色の建物だが、「チェルノブイリ博物館」だ。あのひどい原発事故を忘れないために、この装甲車はじめ、当時使われたものを展示しているという。

 

そばにいた人に話を聞くと、5歳だったというその人は「当初は何も知らされなかったが、やがて事故の詳細が知れ渡り、親から離されてクリミア半島のキャンプに連れて行かれ、怖くてつらかった」と言った。

 

もう1人が言った「この事故は私たちに大きな教訓を残してくれた。若い世代にそれを伝える。歴史から学ばない者に未来はないんです」という言葉は、自分の見たくない歴史は、隠したり修正してしまおうというどこかの国の偉い人たちに聞かせたい。

 

新しくできたという大きな橋(パーコビー橋)のそばには巨大な虹のようなアーチが作られていて、現地の人に聞くと、ロシアとウクライナの友好を表していて、黒くヒビのようなものが入っているのは、ロシアとの関係悪化を表現しているとのこと。

 

一緒にいた女性は「みなロシアに兄弟姉妹がいて結びついているのに、政治のせいで悪化した」と話す。イッセー尾形さんの「早くあのヒビがなくなるくらいうまくいくようになるといいですね」というナレーションが入るが、いまやそのアーチの存在さえ危うい状況になっている。

 

キエフ公国として東ヨーロッパ一の繁栄をしていたという国も、その後モンゴル・ロシア・ソビエトポーランドなど、周辺諸国に翻弄される。1991年ソビエトの崩壊によって独立を果たしてからも国情は揺れ続け、2004年のオレンジ革命や、2014年の一般市民の多くの犠牲の上に、やっと完全な独立を果たしたという。

 

平和そのものに見える街並みの中に、たくさんの顔写真が貼られた壁が現れる。居合わせた人の話では「2014年に始まった、ロシアとの戦闘で犠牲になった英雄たちの写真だ」とのこと。その人自身も戦闘に行っていたと言う。自分は無事に帰還できたが、犠牲になった2人の友人の写真を指し示していた。

 

街には子供にピザ作りを教える教室があり、そこは帰還兵士の心のケアをするためにあると紹介していた。ウクライナはずっと戦争がごく身近にあったのだ。「一朝ことあれば・・・」という覚悟は、ウクライナの人々にとって親しいものかも知れない。やはり服従だ非暴力だと、平和ボケとも言われる地にいる人間が、軽々に口にできることではないと痛感する。

 

 

それにしても、あまりに美しくのどかなキーウの風景で、ニュースで伝えられる現在のモノクロのような映像との違いに胸の痛みは増すばかりだ。この美しい街並みのどれだけが無事でいるだろう。楽しそうに散策している人たちは、今どこでどうしているのだろう・・・。

 

 

友好のアーチ。上のほうに黒く入ったヒビ。

 

我が家の(と言っても、これは入居した時すでに植えられていたもの)ツツジ。花をめでていられる幸せ。

 

榎村先生は津軽人だった!

テレ東の深夜ドラマらしいゆるさの『先生のおとりよせ』が、回を重ねるごとに面白くなってきた。なんと言っても、正反対の二人の主人公、小説家の榎村遥華(向井理)と、漫画家の中田みるく(北村有起哉)のバトルが楽しい。

 

今回の第3話では、セクシーな編集長(橋本マナミ)の魅力に負けて、仲の悪い二人がコラボ作品を引き受けたものの、プロットのアイデアがさっぱり浮かばず悩む榎村の部屋を中田が訪ね(二人は同じマンションの隣同士)、協力するとあれこれ話しかける。

 

あげくに、榎村の部屋の乱雑さを見かねた中田(彼はフェミニン男子できれい好き)が、榎村の仮眠中に部屋の整理をしていて、あやまってパソコンの電源を抜いてしまい書きかけの小説を消してしまう。それでなくてもその短篇の締め切りを失念していて、コラボ作品と2つの締め切りが迫り追い詰められていた榎村は怒りが爆発し、ついに中田に向かって言い放つ。「さしねっ!」

 

おお、まさかクールな向井=榎村先生の口から津軽弁が飛び出すとは!そう、榎村先生は津軽人だった(ちなみに「さしね」はうるさい、ということ)。

 

 

北村有起哉さんは昨年の『半径5メートル』でも、ヒロインの同僚である女装の編集者を非常に魅力的に演じていたが、こちらは同じフェミニンでも、無精ひげを生やしたむさくるしいおじさんがパステルや原色のポップなファッションをしているという、『半径・・・』の時のシックで控えめな存在とは大違いだ。絶妙のとぼけた演技に思わずクスッとしてしまう。

 

向井さんも、コミカルな演技が思っていた以上に合っていて面白い。食べ物に焦点を当てたドラマは、そちらに比重が置かれ過ぎるとつまらなくなってしまう(私の場合)が、このドラマはお取り寄せ商品がアクセントにとどまって、脇の人物(トラネコ便の配達員やマンションの大家さんなど)まで個性的で楽しませてくれる。

 

これからこの二人の関係がどうなっていくのか、コラボ作品は無事完成するのか、榎村先生の口から更なる津軽弁が飛び出すのか・・・紹介されるお取り寄せ品とともに興味深い。

 

 

 

 

緑陰でおやつ

町内の老人会の立ち上げからともに役員をしてきた方が亡くなり、午前中はその告別式に参列した。

 

こうした折りがらでもあり、ごく内輪の友人葬だった。会場も、最近できたばかりの家族葬専用の小ぢんまりとした所で落ち着いていて良かったが、なんといってもまだ74歳という年齢で惜しまれる。道で会ってもスーパーで会ってもいつもご夫婦一緒で、まさにおしどり夫婦という感じだったので、残された奥様はお寂しいことだろう。

 

時々ウオーキングに行く緑地公園のそばの会場なので、近所の方と歩いて行った。往復でちょうど5000歩ほどだが、式典の前にスマホの電源を切ったまま入れ忘れていたので、残念ながら帰路の歩数がカウントされなかった。

 

午後は、なまず池の公園を通って、信金のATМまで入金に出かける。緑地公園となまず池公園は我が家から反対の方向にあるため、一日に両方の公園を制覇するのは初めてだったかもしれない。

 

そのご褒美と自分を甘やかし、なまず池公園の向かいにあるファミリーマートに寄り、昨日の雨のあとの美しい緑を楽しみながら、公園のベンチでおやつにする。せっかく少しばかり多く歩いても、これだからちっとも痩せないのだ。

 

 

学校が終わった低学年の子たちが遊んでいる。

 

コデマリが花盛り。

 

めったに行かないコンビニで購入した本日のおやつ。たい焼きがモッチモチでおいしかった。

 

思い切りが必要なれど・・・

またやってしまった。ビオラの花がら摘みをしていて、これから咲くものを摘んでしまうミス。

 

せめて小さなグラスに挿して、台所の一隅を飾ってもらおう。

 

咲き終わった花がらを放っておくと、種を結ぶことに栄養を使い株が弱る。せっせと花がらを摘んでやると、長く楽しませてくれる。・・・と、いつもこんなことをしているうちに夏の花苗と植え替える時期を逃し、園芸店の苗の売り場も売れ残りだけの寂しいものになってしまう。

 

これも失敗を繰り返さないよう、なんとかシーズン中に植え替えねばと思うが、でも頑張って咲いている花を抜くのがつらいのだ、毎度のことながら。

 

 

2月に定期のクリーニングで歯科にかかったのだけれど、その時に以前治療した歯がかぶせ物の下で虫歯になっているというので治療が始まり、2週間おきくらいのペースで治療が続いている。

 

今日はセラミックの土台を入れて、19800円なり。このあと、やはりセラミックのかぶせ物に十数万円かかる。もちろん、保険診療にすれば数千円で済むのだろう。一番奥の歯なので美観から言えば金属でもいいようなものだが、年をとってなんども治療が必要になるのも大変だろうから、長持ちするセラミックにしようと思っている。

 

以前の治療には5万円弱かかっている。でも、17年もったから、今回治せば、もうこの歯については死ぬまで治療しなくても良いのではないか。これも思い切り!