あとは野となれ山となれ

たいせつなことは目には見えないんだよ・・・

私も楽勝のはずだった・・・

世の中が寒々しいせいか、4月ももう終わろうというのに、ひざ掛けや暖房が欲しいくらいだ(実際、いま電気のひざ掛けを使っている)。

 

月一回の民生委員の例会と、校区老人会の役員の集まりはあったが、3月4月とほぼボランティアや地域の役目関係の行事は延期・中止で、引きこもる日々が続いている。もともと出不精で、人にもよく「食料の補給さえあれば、1年中でも家から出なくても退屈せずに過ごせる」と言っていた私だけれど、そんな自信も崩れ落ちようとしている。

 

id:fujiponさんが、昨日『「外出自粛生活」は楽勝のはずだった、インドア人間の現状』というエントリーを書いていらした。fujiponさんは、感染症とは関係ない部署とはいえお医者様なので、心身の疲労はさぞかしと思われる。

 

fujipon.hatenablog.com

 

毎日が日曜日のお気楽な私が同列で語るのは申し訳ない気がするが、こんな状況になってみて初めて分かった。引きこもり大好きなどと言っていられたのは、出かけたくなればいつでも出かけられることが保証されていたからなのだと。押し付けられること、外から規制されることの重苦しさを、痛感している。

 

3月は本も5冊読んでいるが、4月は途中から地区市民館が利用できなくなり、時間は以前にも増してあるというのに、まだ2冊にとどまっている。その2冊は市民館で借りたものだ。こんな気の塞ぐ日々だから読めないのか、あるいは返却日という縛りのおかげで読めていただけで、私の読書の力はもっと以前から落ちていたのだろうか。

 

”言い出しっぺ”は相変わらず精力的にグループLINEで次々企画を提案するが、私はなんだか気乗りがせず、他のメンバーが返信するのを眺めているだけの時も多い。

 

カメキチさん(id:kame710)が今日のエントリーで、哲学者レヴィナスの言葉を引用していらした。

僕たちはその理不尽さにまっすぐ向き合って「筋が通らない」と抗議し続けることにしだいに疲れて、どこかで「もう、どうでもいいや」と屈服してしまう。

理不尽さを受け容れてしまう。

 

 ああ、私はこの状態になりつつあると思った。それではあちらの思うつぼだ。これを狙って次々呆れるほどの悪事を積み重ねているのかも知れない。以前ツイッターで、日本だけがウイルスと市民と政府の、三つ巴の戦いになっているという呟きを見たけれど、実に言いえて妙だと感心した。

 

ウイルス以上に、呆れた政府の対応にまいってしまう。対策が的外れだけならまだしも、火事場泥棒とも言うべき行為が次々明らかになって、新型肺炎より絶望で倒れそうだ。

 

良い雰囲気の中で、とびっきり美味しいごちそうが食べたい。

食欲があるうちはまだ大丈夫だな・・・。

 

 

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こういう時はやっぱりネット上からの「癒し猫画像」!