あとは野となれ山となれ

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命の軽い国

昨日放送された、NHKスペシャル『忘れられた戦後補償』を見た。ブログには戦争で家や家族を奪われ、身一つで放り出された戦災孤児のことを書いたばかりだし、先日読み終えた浅田次郎さんの戦争にまつわる短編集『帰郷』には、物乞いをする傷痍軍人の話もあった。これはぜひきちんと向き合っておきたい。

 

戦争で亡くなった軍人に恩給があることは知っていたし、ある程度階級によって差があるであろうとも思っていたが、その格差は想像以上だった(大将経験者は戦犯であっても兵の6.5倍。東條英機は現在の価値で年1000万円超)。

 

しかも、時代を追うごとに法律が追加され、軍関係の補償費の全額はうなぎのぼりになっていった。上層部の分を削ってでも、民間人にも補償すべきだと思うのだが、このあたりは、現在のコロナ禍での国会議員に対する厚遇と、民間の零細事業者への冷遇ぶりと同じ構図だ。

 

戦争によって命をなくされた方はもちろん、手や足を失ったり、火傷でひどいケロイドが残った方なども、その後筆舌に尽くしがたい人生を強いられた。五体満足であっても、年端もいかぬ年齢で孤児となって放り出された「浮浪児」たちも、大変な戦後を生きたことは、昨日紹介したドキュメンタリーなどにも記録されている。

 

そうした悲劇がお金で償いうるものだとは思わないけれど、お金によって背負ったご苦労がほんの少しでも軽減できるという面はあると思うし、せめてそれくらいしようと思うのが、人の情ではないだろうか。

 

ところが、日本政府は終戦直後から飽食・繁栄・バブルの時代に至るまで、一貫してこの民間人への補償を拒み続けている。

 

そして、その冷血な政府の対応以上にぞっとしたのが、国に補償を求める戦争被害者に対する、同じ民間の普通の人たちの反応だ。いわく「欲張り婆」「そんなに金が欲しいか」。こうした罵詈雑言を連ねたおびただしい手紙が、活動する人たちのもとに届いたという。

 

今と全く同じだ!

 

同じ敗戦国でも、ドイツとイタリアは民間人にも補償をしているのだという。ドイツは1950年に連邦援護法を制定し、全ての戦争被害者に対し被害に応じた補償をし、戦後財政不安に陥ることの多かったイタリアでは戦後補償は非常に負担だったが、1978年に戦争年金に関する諸規則の統一法典という法律を制定し、たとえ保障の金額が少なくとも、国が当然持つべき感謝の念と連帯の意を表すための補償を重視したという。

 

何という違いだろう!

 

補償を求める人を罵倒する国、日本。コロナに感染した人をなじる国、日本。

 

たとえ政権が代わろうとも、私たち自身が変わらない限り、この国で民主主義を求めるなど無理なのではないかと感じてしまう。

 

 

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今回の番組の核となった、開示された2万4千ページに及ぶ政府の内部文書。この記録がなければ、番組も成立しない。記録を残すことの大切さ。たとえ時の政府にとって不利な記録であっても、これなくしては過去の検証はできず、未来の選択を誤ることになる。