あとは野となれ山となれ

たいせつなことは目には見えないんだよ・・・

本の校正に素朴な疑問

一時期はかなりテレビに出演していらした、著名な女性作家の作品を読んだ。裕福な家庭で育ち、学歴も作家デビューしてからの受賞歴も輝かしい方だ。

 

複数のペンネームを持って書き分けていらしたので、作品によってはまた違うのかもしれないが、私が今回読んだ作品は想像していたのとかなり違い、言葉やかな表記の間違いも多く、同じ言葉の繰り返しや口述筆記かとも思える雑な文章の、非常に軽い作品だった。

 

以前図書館の企画で出版に携わっている方の講座に参加した時に、校正についてお聞きしたら、「今は原則間違いと思っても指摘しません」とのことだった。出版社や、また相手の作家(新人だとか大御所だとか?)によっても違うかもしれないが、その方の所では(作家を尊重してということだろうか)、明らかに間違いと思われても指摘しない方針だと仰った。

 

これでいいのだろうか。今ちまたを騒がせているカルト宗教のニュースでも、政治家が広告塔になることで、人々がその団体を信じて良いと思わせてしまうことが問題だと言われているように、職業作家の書いた本に間違いが、それもたんなる印刷ミスなどではない状態で掲載されていれば、読み手にそれが正しいと印象付けられていってしまいはしないか。

 

テレビでは脚本家の書いたドラマのセリフやアナウンサーの言葉が間違いだらけ、本を読めばプロの作家が間違った言葉で書いている。言葉は時代とともに変わっていくものだからこそ、人々がお手本のように思う言葉のプロには、踏ん張っていただきたいと思うのだけれど、そう願うことが間違いなのだろうか。

 

猿が木から落ちても、弘法が筆を誤っても、出版社の校正の方々がセーフティネットになってくださるのを期待することはできないのだろうか。間違いを指摘するのは、相手のためにもなることだと思うのだけれど・・・。

 

 

今日のお昼は到来物のこれを食べる。カップ麺なんてめったに食べないのでワクワクする。刻みネギを足して・・・。

 

当地もコロナ感染者が急増し、先週は700人を超えた。明日の民生委員の研修会も急遽延期となった。1000人を超えるのも時間の問題だろう。