あとは野となれ山となれ

たいせつなことは目には見えないんだよ・・・

信じるとは考えずに済ますこと『ブラッド・スクーパ』森博嗣著

森博嗣ヴォイド・シェイパシリーズの2作目。相変わらず無垢で純粋で剣にひたむきなゼンの魅力があふれる。

 

今回のゼンは、竹の中から得られたという真珠のように美しい「竹の石」という宝を有する庄屋の家に滞在することになる。それを削って飲めば不老の生を得られるのだと言う。旅の途中で、その家で警備を任されているという侍と知り合い、近く盗賊の一味がその宝を奪いに来るらしいとかで、ゼンの腕を見込んで力を貸して欲しいと頼みこまれたのだ。

 

庄屋の家には才気あふれる美しい娘ハヤがいて、山の生活しか知らず世知に疎いゼンは、彼女の語るさまざまな知識に敬服し、彼女からいろいろ学ぼうとする。

 

ある夜、恐れていた盗賊たちが襲ってきて、ゼンは自分より剣の腕がまさっていると思われる相手と死闘を繰り広げる・・・。

 

第一巻は『The Void Shaper』 無を体現する者。これはゼンのことだろう。そして第二巻の本作『The Blood Scooper』 血を掬う者。これはどの登場人物を表しているのか。読んで見つけるのも一興か。相手は非常に強いが、もちろん物語はまだ続くし、主人公のゼンが勝つのだけれど、その戦いの中から彼はまた多くのものを学び、さらに高みを求めていく。

 

小さな「竹の石」のためにおびただしい血が流れるのだが、その宝物に対する庄屋の娘ハヤとゼンの態度が清々しい。ハヤは言う。

竹の石が手に入った後、たまたま良いことが続いたなどで出来上がった迷信だろう。信じることは何も問題ではない。ところがそれがあだとなった。早々に手放せばよかったのに手放さず家の秘密にした。秘密はいつか漏れ、漏れればそこに人の欲が生まれる。無理にでも手に入れよう、人を殺してでも奪い取ろうと、怪物のような考えが育つ。

人の欲望というのは、自分で勝手に築いた妄想に対して抱くもの。実の価値などないことに気付かない。気づかない者どうしが争うのだ。

 

この最後の部分は非常に鋭い。現代の金や権力に執着する者たちにも言えるように思う。真の価値はそうしたところにはないのに、気づかない者どうしが争っている・・・。

 

折りしも、村は祭りが近く、人々はその準備に忙しい。祭りはもちろん、神社も神も知らないゼンは神や信心について考える。神に祈れば良いことが起きる。そう信じている者は、良いことがあれば神のせいにする。なにも起こらなければ、神様のおかげでなにごともなかったと思う。もし悪いことがあれば、祈りが足りなかったと考えるだろう。そう解釈すれば、なにがあっても信心は深まるばかりだ。

 

世の中には竹の石の類は数知れず存在するに違いない。人は己を信じることが難しいために、なにかほかのものに縋ろうとするのか。自分を信じることができれば、最初からなにもいらない。刀も神も、祈ることも縋ることも無意味だ。しかし、その域に達することができるのは、よほどの達人あるいは高僧か・・・と、ゼンは自分の剣の道の修業にまで思い及ぶ。相変わらず非常に真摯で禁欲的なゼンだが、女性の思いにはおよそ鈍感で、またしてもハヤの気持ちを置き去りにして、都を目指して旅立ってしまう。

 

なお、本作の引用は岡倉覚三著の『茶の本』。