あとは野となれ山となれ

たいせつなことは目には見えないんだよ・・・

寂しい魂『存在の美しい哀しみ』小池真理子著

タイトルに惹かれたが、自己陶酔型の物語だったら・・・という一抹の不安がよぎる。しかし、小池真理子さんの作品では今までそうしたものに出合ったことはないので、信じてみることにした。

 

プラハ芸術大学音楽学部チェロ科の修士課程まで終えて、今もプラハで暮らす芹沢聡という男性と、彼を巡る人々の物語を、それぞれ視点を変えた7つの物語で立体的に構築した作品である。

 

第1章「プラハ逍遥」は、死の床に臥した母奈緒子から異父兄聡の存在を知らされ、母亡きあと、兄の住むプラハに向かい、妹であることを隠しガイドとして兄を雇って、芹沢聡と初めての対面を果たす後藤榛名の物語だ。

 

第2章「天空のアンナ」は、自分の死期を覚悟した奈緒子が、優しく理解ある夫の信彦の許可も得て、高層ホテルの47階にあるジュニアスイートルームに一人で宿泊し、自分の人生の軌跡をたどり記憶を甦らせ思い出に浸り懐かしむ物語だ。「アンナ」は奈緒子がホテルの部屋のテレビでふと目にする映画『アンナ・カレーニナ』のアンナだ。

 

第3章は奈緒子が介護サービスの仕事で出入りする「ひまわりホーム」の介護士深田芳雄の物語「我々は戦士だ」、第4章は奈緒子の夫の職場の部下、玉岡知沙の物語「ただ一度の」、第5章は奈緒子と離婚した芹沢喬が、再婚した相手史恵の物語「荘厳の日々」、第6章は聡の妹恵理の物語「片割れの月」、そして最後の第7章は榛名のプラハでのガイドを終えた後の聡の物語「ウィーン残照」。

 

非常に妻への理解と包容力に富み、理想的とさえ思える奈緒子の二度目の夫後藤信彦と、対照的にチェロの才能やそれを活かす環境には恵まれているが、奈緒子に対し非情とも思える勝手さを見せた最初の夫芹沢喬、この2人のキーマンの視点の話はない。けれども、周辺の人物の物語から、偏りのない2人の男性の像は浮かび上がってくるようだ。

 

タイトルから反射的に『存在の耐えられない軽さ』を思い浮かべたが、やはりそれにまつわるものだった。聡と榛名がプラハを散策していると、走って来た子犬が榛名の足元にまつわりつく。飼い主が「トマーシュ!」と呼ぶ。そして2人は主人公の外科医の名がトマーシュだったと、この映画の話になるという場面がある。

 

榛名も聡も比較的恵まれた環境にある。榛名は恋人に去られたあとであるが、聡には非の打ちどころもないような恋人も存在する。それでも、特に最終章の聡の物語には言いようのない寂しさが漂っていて、生きるということは根源的に寂しいことなのかも知れないと思う。非常に余韻の残る作品だった。

 

 

プラハのカレル橋の写真を使った装幀も素敵