あとは野となれ山となれ

たいせつなことは目には見えないんだよ・・・

試用1週間、補聴器の調整に

型を取って作ってもらった補聴器、先週の水曜日から試用を始めたので、1週間後の今日は補聴器店に行く日だ。帰りに街でランチをとることにして、ちょうどいい頃合いに家を出る。

 

ちょっと音が割れるような感じだったこと、自分のたてる音(調理台やテーブルに物を置いた時、何かをちょっとぶつけた時など)がビックリするほど大きいことを伝える。私の一番の要望が「会議などで他者の話すことを聞きとりたい」だったことから、結構能力を最大近くに設定していたそうで、それを今回は少し低くしてくれた。これで音が割れるような感じも、雑音の大きさも改善されるだろうとのことだ。これでまた1週間様子を見る。

 

だんだん、自分の体に人工的な装置が加わっていく。一番初めは中学生の時に必要になった眼鏡だ。これは体の外に装着するし、かけ外しも簡単で、あまり自分の体の部品とはとらえていなかった。

 

その後はずっと何事もなかったが、次は5年前の右股関節に入れた人工関節だ。これはもうまさに、自分の体の一部が人工的な部品に置き換わったわけだ。そして今回の埋め込み型の補聴器。自分が徐々にサイボーグになっていくようだ。目的は「健常」を保つためで、決してSFに出てくるサイボーグのように強くなるわけではないけれども。

 

就寝時には、外すものと、反対に装着するものとができた。4年前に行ったインビザラインによる歯列矯正の後戻りを防ぐためのリテーナーを装着し、補聴器は外す。眼鏡でなくコンタクトを使っていたら3種類になるところだ。

 

健康や体力維持のためのウオーキング・筋トレ・口腔体操など、毎日のルーティンも増える一方で、仕事がなくなり自由時間が増えると、こうした雑事で忙しくなるというのはうまくできているとも言える。

 

それにしても、自分の体のサイボーグ化はこのあたりで終わりにしたいものだけれど、母と同じように90代半ば過ぎまで生きるとすれば、これで終わらないかも知れない。そう考えると、97歳まで入れ歯以外のサイボーグ化はなかった母は、大したものだと改めて思う。大正生まれ、すごい。

 

 

笑っちゃう「サイボーグキャット」 (ネコまにあさんのサイトより)